<年は唯、黙々として行くのみぞ>高浜虚子…


 <年は唯、黙々として行くのみぞ>高浜虚子。春が過ぎ、猛暑の夏を越え、短くなった秋と伸びてきた冬がせめぎ合う今の季節。師走を間近にした時期になると、毎年同じことを感じるようになった。

 時の流れの速くなったことを驚きながら、人は年輪を重ねていくことである。世捨て人の心境になったわけではないが、「方丈記」(鴨長明)の一節が妙にフィットしてくる。

 <ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし>と。

 中国唐時代の詩人が人生の無常を詠む<年々歳々花相似たり/歳々年々人同じからず>にも通じる世界がある。花色の乏しいこの時期に外で目を引くのが、庭や公園、プランターをカラフルに彩るパンジー(三色スミレ類)である。

 昔からありふれた小さな花の名は、フランス語で「考える」「思う」の意味のパンセに由来。「春の唄」(作詞・喜志邦三)に「……春が来た来た 丘から町へ/すみれ買いましょ あの花売りの」とあるように3月ころから咲き始める。それが野外に秋植えし、霜柱が立っても雪をかぶっても、冬を平気で越して花を咲かせ続ける。

 温室育ちのシクラメンなどと同様の華奢(きゃしゃ)なイメージだが、意外と丈夫で長持ちすることが分かったのは、地域環境NPOのボランティア活動に加わってから。公園の花壇の花の世話からも、いろいろ学べるのである。