東京の三鷹市北野の辺りは住宅地であるが…


 東京の三鷹市北野の辺りは住宅地であるが、農家も多く、散歩していると田舎にいるような気分になってくる。今の季節に家の庭先や畑の隅でよく見掛けるのが菊の花だ。

 それも厚物や管物や古典菊まであって、栽培を趣味にしている人たちがいるらしい。菊花展に出品されるわけでもないだろうが、立ち止まって鑑賞させてもらう。端正で気品があって清楚(せいそ)な美しさだ。

 菊をテーマにした文学作品で愛読したのは、青森県出身の故三浦哲郎さんの短編「お菊」である。悲しくも美しく心を打たれる物語だ。タクシーの運転手が病院の入り口で患者らしい若い娘を乗せる。

 行き先は食用菊の栽培をしている実家で、かなり遠くだが、家が近づいてくると一面の菊畑で風景描写が見事。新境地を開いた珠玉の短編と形容された作品だが、実はタクシーに乗った時間に娘は死んだ。

 乗ったのは彼女の霊で、両親が病院に来られるよう迎えに行ったのだ。幻想的な話だが、菊畑が美しいのでどこの土地をモデルにしたのか調べてみた。「鷹の巣」という地名が出てくる。

 同郷の人であればすぐ分かっただろうが、そこは青森県西目屋村にあり、白神山地で、菊の栽培などしていない。地名を出すことで作者はフィクションだということを明示した。ひそかな遊び心からだったのであろう。それにしても感動させるのは見渡す限りの菊畑と、運転手が語る食用菊のレシピ。作者の体に刻まれていた郷里の風土だ。