潘基文氏のとんでもない「反論」


 当方は度胸があってちょっとやそっとでは驚かないほうだが、この記事には驚いた。中国の北京で3日開催された「抗日戦争勝利70周年式典」とその軍事パレードに夫婦で参加した国連の潘基文事務総長は日本や米国からの批判に対し、「国連に対して誤解している。国連や国連事務総長が求められているのは中立性ではなく、公平性だ」と弁明し、日本の菅義偉官房長官の「抗日戦争勝利70周年式典参加は国連の中立性に違反する」という批判に対し反論したという。

 国連機関は加盟国193カ国から構成された組織であり、各国が国連の舞台で自国の国益を追求する。国連は理想的な利他的な組織ではない。だから、国連機関の事務局トップに求められるものはその利害の調整だ。その主要原則は「中立性」だ。国連憲章第100条1を指摘するまでもなく、国連事務総長はその職務履行では中立性が求められているのだ。紛争解決の場でどちら側を支持するかはどの国からも求められていない。紛争の解決を調停するために、関係国に話し合いを求めるだけだ。

 潘基文氏は「事務局トップに求められるのは公平性だ」と主張した。その心構えは立派だが、誰が、どのようなプロセスを経てその「公平性」を決定するのか。独裁国家では指導者が何が公平かを自身で決定できるが、国際機関では加盟国が協議を経て採決で何が公平かを決定する。事務総長には公正公平を勝手に決定できる権限など与えられていない。

 国連の様々な決議案や制裁を想起すればいいだろう。例えば、北朝鮮が核実験を実施した。国連事務総長は加盟国や理事国を招集してその対策を協議するが、対北制裁決議案は加盟国の提出に基づき、決定される。事務総長が制裁決議案を作成して制裁を下すことはできない。事務総長は会議を招集し、加盟国に協議を促すだけだ。議題に対する公平な決定は加盟国に委ねられているのだ。

 潘基文氏の反論の中でもっと驚いたのは、中国国営テレビ放送とのインタビューの中で、「軍事パレードには心を揺さぶられた」と吐露したという個所だ。ホスト国・中国の式典招待への過剰な返礼とだけでは受け取れない内容がある。国連の舞台では核拡散防止条約(NPT)や包括的核実験禁止条約(CTBT)で核軍縮が話し合われている。世界の紛争解決の調停役が期待される国連事務総長が中国共産党政権の軍備拡大を称賛するようなものだ。たとえ、潘基文氏が感動したのは勲章をつけた老兵の姿であったとしても、軍事パレードに心が動かされたというべきではない。自分の立場を忘れている。

 潘基文氏は指導力の欠如だけではない。同氏は事務総長としての中立性を無視し、自己流の「公平性」を主張している。ただし、ソウル大、ハーバード大を卒業した潘基文氏が国連の使命、事務総長の立場を理解していないはずはない。同氏は知りながら、中立性を無視し、勝手な公正公平さを主張しているのだ。潘基文氏は確信犯だ。

(ウィーン在住)