Amazon.com は“現代のサンタクロース”
クリスマスが間近に迫ったのにこんなことを書き、お祝いの雰囲気に水を差すようで申し訳ないが、やはり重要なことと思うので、書いておく。
サンタクロースとクリストキンド(Christkind)は同一人物ではない。トナカイが引っ張るソリに乗ったサンタのおじさんは米映画ではおなじみだ。一方、クリストキンドは幼いイエスや天使たちを含めて表現する言葉だ。そして主人公のイエスは、2000年前に誕生され、33歳の若さで十字架上で処刑された。キリスト信者はそのイエスを救い主と信じる。クリスマスは本来、そのイエスの誕生を祝うイベントだ。
ところが、肝心のイエスの誕生日を祝うクリスマスだが、オーストリアでもクリストキンドよりもサンタクロースがポピュラーとなってきた。米資本主義の消費文化に汚染されてきた欧州社会でもサンタは年々、その影響を拡大し、クリストキンドは隅に追いやられている。
欧州の伝統的なキリスト教会関係者は、「クリスマスはプレゼントの交換の日ではなく、イエスの降臨を祝う日です」と指摘し、米主導の消費文化のシンボル、サンタクロースに対して反発を感じている。一種の文化闘争の様相すら帯びている。
ところで、クリスマス・プレゼント買いに疲れた現代人はここにきてオンラインで注文するケースが増えてきた。その意味で、オンラインの通販の最大手 Amazon.com は現代のサンタクロースだ。
大人たちは、クリストキンドの訪れではなく現代のサンタクロースがプレゼントを運んでくるのを待つ。サンタのおじさんからであろうが、クリストキンドからであろうが関係なく、子供たちはクリスマスツリーの下に置かれたプレゼントをワクワクしながら待っている。
ちなみに、クリスマスの主人公、イエスは「人は神の言で生きる」と諭し、下着を2枚持っているなら、1枚を他に与えよと諭す。 Amazon.com のジェフ・ベゾス会長が聞いたならば、「私の商売を邪魔しないでくれ」と憤慨するだろう。
少々説教調となってしまうが、今年も指摘しておきたい。イエスは33歳の若さで十字架上で殺害されるために降臨されたのではないという事実だ。死ぬために降臨されたのなら、十字架で亡くなったイエスを見て嘆く必要もなく、大喝采すれば良かったのだ。ィエスのゲッセマネの祈りも必要なかったはずだ。
しかし、実際はそうではなかった。イエスの十字架の死を嘆き、多くの信者たちが困惑した。イエスは生きて、メシアとして人類救済の道を開くべきだったが、それが出来なかったからだ。だから、イエスは「私はまた来る」と再臨を約束された。メシアとしての使命を完全に果たしたのなら、繰り返すが、再臨する必要はないのだ。
クリスマスを現代のサンタクロースから解放し、イエスがなぜ誕生されたかを考える日としたいものだ。もう一度、メリー・クリスマス。
(ウィーン在住)