連休の一日、久しぶりに東京の歌舞伎座へ…


 連休の一日、久しぶりに東京の歌舞伎座へ足を運んだ。昼の部の最初の演目が「極付(きわめつき)幡随(ばんずい)長兵衛(ちょうべえ)」。松本幸四郎が幡随院長兵衛を演じた。NHKの録画で中村吉右衛門演じる長兵衛を観(み)て以来、気になっていた。

 長兵衛は侠客(きょうかく)の元祖とも言われる実在の人物。町奴(まちやっこ)の頭領として名を売った長兵衛は、旗本奴の頭領、水野十郎左衛門に呼び出されて殺害される。

 河竹黙阿弥作の歌舞伎では、長兵衛は殺されることを分かっていながら、出ていかなければ男が立たぬと一人水野屋敷に出向き、湯殿で殺害される。その時の江戸っ子の意地を示す啖呵(たんか)が、最大の見せ場だ。一方、水野らは侍のくせにだまし討ちをする卑劣漢として描かれている。

 こんな芝居は江戸時代に上演できなかっただろうと調べてみると、初演は明治14年だった。威張っていた侍に抱いていた町人たちの鬱屈(うっくつ)した心情を代弁したことが受けたのだろう。

 この点では、古典落語の「たが屋」も同じだ。隅田川花火の見物でごった返す両国橋を馬で通ろうとした侍たち一行がたが職人に殺される噺(はなし)だ。この落語、江戸末期に演じられていたが、寄席に侍がいた時は、侍ではなく、町人の首が飛ぶように演じられたともいう。

 表現の自由が制限されていた中で、先人たちはお上の顔色をうかがいながらも、工夫して自分たちを表現してきた。それに比べれば、愛知県で開催途中で中止となった「表現の不自由展」など、甘ったれた企画である。