日本の歴史と伝統を顧みず女性・女系天皇容認論に固執し続ける毎日

◆皇室像を問うた毎日

 今年は平成から新しい御代(みよ)へと移る節目の年だが、元旦から6日までの各紙社説で御代替わりを取り上げたのは毎日と産経、本紙の3紙だけで、いささか寂しい年明けとなった感がする。

 昨年、大嘗祭への公費支出をめぐって秋篠宮殿下が「国費で賄うことが適当かどうか」と述べられた際は、国家と宗教の関わりについて大いに論議を呼んだ。朝日と東京は国費支出に反対、読売と産経、本紙は賛成で、リベラルと保守で見解が分れた。

 毎日は皇室像を問うていたが、3日付社説「象徴の意義を確かめ合う」はさらに踏み込んで、「陛下の退位後、皇位を継げる若い皇族は秋篠宮家の悠仁(ひさひと)さましかいない。安定した皇位継承のためには、『女性天皇』や『女系天皇』の可能性を排除せず、できるだけ早い時期から議論を始めるべきだ」と女性・女系天皇容認論を持ち出した。

 これには「またぞろ」と思わずにはおれない。悠仁殿下がお生まれになる前年の2005年、小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関である皇室典範有識者会議が女性・女系天皇を容認し、長子優先主義を採用する答申を首相に提出したことがあるからだ。

 同会議は皇室に詳しい専門家の集まりではない。座長はなぜかロボット工学専門の元東大学長で、他のメンバーも門外漢だった。125代へと受け継がれてきた天皇は推古天皇をはじめ8人10代の女性天皇も含めて、いずれも男系だ。誰お一人として女系天皇はおられない。答申はその千数百年の歴史と伝統を軽んじていた。

◆反対論に転じた朝日

 当時、これに諸手(もろて)を挙げて賛成したのは朝日、毎日、読売の3紙。朝日は「時代が求めた女系天皇」と褒めちぎった。日経と東京は慎重論、産経と本紙は反対論を展開した(05年11月25日付社説など)。

 この論議に故・三笠宮寛仁殿下が一石を投じられた。「世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いものか」と答申に疑問を呈され、皇籍離脱した元皇族の皇籍復帰や現在の女性皇族(内親王)が元皇族(男系)から養子を取るとの代案を示された。

 これには朝日が「黙れ」と言わんばかりに「寛仁さま 発言はもう控えては」との社説を掲げて物議を呼んだ(06年2月2日付)。ところが、秋篠宮妃紀子殿下が御懐妊されると、政府は改正案の国会提出を断念。悠仁さまがお生まれになると読売は慎重論へ、朝日と東京は反対論へと転じた。

 目を引いたのは朝日で、答申絶賛社説や「黙れ」社説を忘れたかのように、あっさりと「男子が誕生した以上、現行の順位をくつがえすような皇室典範の改正は現実的ではあるまい」とした(06年9月7日付社説)。

◆答申の考え方を踏襲

 そうした中で女性・女系天皇容認論に固執し続けたのが毎日である。3日付社説は「これからの時代に応じた象徴像」として「天皇は、社会の連携を保つ役割を担っているように見える。それは天皇を頂点とした戦前の疑似家族国家とは明らかに異なる」などと論じている。

 「時代に応じた」は答申の考えを踏襲したものと言える。答申は「女性の社会進出も進み、性別による役割分担意識が弱まる傾向にあることは各種の世論調査等の示す」とジェンダーフリー論を振りかざし、「象徴天皇の制度にあっては、国民の価値意識に沿った制度であることが重要な条件」とし、歴史と伝統を顧みなかった。

 毎日はさらに5日付社説「新元号の公表4月1日 細心の注意で混乱回避を」で、新元号の公表時期が遅いと批判、「政府には前例踏襲ではなく、今の時代にふさわしい、国民により開かれた手続きと公表の方法を検討するよう求めたい」と、ここでも「今の時代」にこだわっている。

 これに対して産経3日付主張は「感謝と敬愛で寿ぎたい」、本紙5日付社説は「感謝と喜びで新時代迎えよう」と呼び掛ける。とりわけ産経は「皇統の男系継承 確かなものに」と女性・女系天皇容認論にくぎを刺している。

 さて朝日は何と言うだろうか。とまれ歴史と伝統をめぐるリベラルと保守の論争も幕開けしたようだ。

(増 記代司)