「山門をつき抜けてゐる冬日かな」(高浜年尾)…
「山門をつき抜けてゐる冬日かな」(高浜年尾)。この俳句の季語は「冬日」。味も素っ気もない言葉なのに、これだけで冬の寒々しい景色の中でやわらかな日差しが射し込んでいるイメージが浮かぶ。紅葉の時期が過ぎ、大地には枯れ葉が敷き詰められているといった感じだろうか。
日差しも季節によって、かなり印象が異なる。春は雪を解かしていくような暖かさを感じさせるし、夏であれば大地を焼き尽くすような焦熱を思い浮かべる。秋の日差しには清澄さがある。
これに対し、冬日はどこかほっとするような気持ちにさせてくれるものがある。このほか「冬の朝」「冬の雲」「冬霞」「冬の空」「冬の鳥」「冬の雁」「冬田」など、冬のつく季語には寂しいような懐かしいような感情を誘われる。
「町を行く人々に十二月来し」(串上青蓑)。12月に入り、今年ももうすぐ終わる。そろそろ年賀状の準備もしなければならない。とはいえ、最近は「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」というはがきを受け取ることが多くなって寂しい気持ちになる。
気流子も知人友人もそれなりの年になっていて、あまり連絡がないと少し不安になったりする。年賀状は、そんなわずかな絆を確かめる便りでもある。今年は何枚用意すればいいだろうか。
街ではクリスマス商戦や正月のムードを醸し出すディスプレーなどが目に付くようになっている。「光陰矢の如し」ということわざが思い浮かぶ。