桐生9秒98、<日本に黄金時代来る予感>ぐらい言ってよいのでは

◆地味な印象を拭えず

 湯川秀樹博士が昭和24(1949)年に日本人最初のノーベル賞受賞者となったのと同等の快挙ぐらいに讃(たた)えて評価されてもいいのではないかと思った。受賞者のほとんどが欧米人で占められていた中に分け入っての受賞は、人種・民族の壁をぶち破り、時間を経て今日の日本人受賞者ラッシュにつながったと言ってよかろう。

 同様に、陸上男子100メートルの桐生祥秀(よしひで)選手(21、東洋大)が日本人初の10秒の壁を破る9秒98の日本新記録を樹立した快挙は、もっと大いに讃えられるべきではなかったのか。「記録の『壁』は一度破られれば、ただちに消滅して競技の新たなステージを作り出す」(毎日コラム「余録」12日付)、「一度破られた壁は、往々にして後続にやさしく扉を開く」(産経主張・同)からである。桐生選手の突破が、日本のノーベル賞受賞ラッシュのように、これから9秒台の日本人選手続出の嚆矢(こうし)となる可能性は決して低くない。そんな日本の明るい展望をもっと派手に描いてもよかったのではないかと思うのである。

 もちろん、新聞の論調は快挙を讃え、それぞれに未来への展望を手堅く描いてはいた。それでも掲載のない新聞もあり、総じてやや地味な印象を拭えないのだ。

◆興味深い解説の朝日

 社説を掲載したのは朝日<努力と研究が開く地平>、毎日<20年越しの壁突破を祝う>、産経<東京五輪への号砲となれ>の3紙、第二の社説とも言われるコラムも毎日、日経「春秋」、小紙「上昇気流」の3紙(いずれも12日付)であった。

 桐生選手の快挙が、短距離走に優位性があると言われるアフリカ系の選手に割り込んでの達成であることを高く評価したのは毎日と朝日である。

 毎日は「過去9秒台を記録した約120人を見ても、アフリカ系以外は数人しかいない。これだけ人種、民族性が競技力に直結する種目も多くはないだろう」と指摘。朝日も「これまでに9秒台で走ったのは120人あまり。そのほとんどはアフリカにルーツを持つ選手だ」とした上で「日本の選手とは、身長や体重の体格差に加え、骨格や筋肉の付き方の違いがあると指摘する研究もある」と解説し、桐生選手の特性と記録達成の意義に言及しているのが分かりやすく興味深い。

 体格では外国選手に劣る桐生選手は、ボルト選手(ジャマイカ、9秒58の世界記録保持者)を上回る「最大5歩のピッチ(1秒当たりの歩数)と、トップ選手よりも強い踏み込みの力で記録を伸ばした」(毎日)。朝日はさらに詳しく、歩幅を狭くすれば回転数(ピッチ)が上がり最高速に早く行くが、失速も早い。逆に歩幅を広げるとトップギアに入る前にレースが終わってしまうとして両者の両立の難しさを説く。その上で「新記録の背景には、練習によってその精緻(せいち)なバランスを極めた桐生の努力がうかがえる」と高い評価を与えている。

◆「選手層の厚み」だけ

 日本陸連が科学的な研究を基に、欧米の走法や練習方法も参考に、“選手に合わせた育成方法”を進めてきた成果は「日本歴代10傑では桐生に続く全員が10秒0台の記録を持つ。10傑の8人が現役を占め、うち6人は去年から今年にかけて自己記録」(朝日)の更新として実っている。

 その結果を「日本短距離界は群雄割拠の時代に入り、誰が最初に9秒台を出しても不思議ではなかった」と毎日は、山県(やまがた)亮太、ケンブリッジ飛鳥、サニブラウン・ハキーム、多田修平らの選手の成長に言及。この状況を産経は「国内には彼に続く逸材が複数控えている。孤高の富士山型ではなく、群雄割拠の八ヶ岳型へ。日本陸上の短距離界は充実のときを迎えている」と控え目に表現し、朝日も「選手層の厚みは、国際大会でメダル獲得が続くリレー種目での活躍からも明らかだ」と、これまでの結果から選手層の厚みの強みを確認するだけに終わっているのは、ややまどろっこしい。

 憲法や安保など論点がぶつかる政治や外交がテーマではないのだから、ここはズバリ、9秒台の4人がそろえば、4×100メートルリレーで「世界の頂点に立つことだって夢ではない」(産経)わけだ。ノーベル賞受賞者続出のように<日本に黄金時代が来るかもしれない予感>ぐらいの花火を打ち上げて景気付けしてもよかったのではないか。

(堀本和博)