遠のく北朝鮮の中国式改革・開放
張成沢氏失脚 ~北で何が起きたか~(下)
権力闘争の行方占う2周忌
「張成沢は北朝鮮権力中枢にいる人物の中で比較的、合理的発想の持ち主だ」
1997年に韓国に亡命した北朝鮮の黄長燁・元朝鮮労働党書記は生前、周囲にこう語った。当時、じかに話を聞いた孫光柱元デイリーNK編集長によると、黄氏は「もし改革・開放路線を取るならそれは中国式だろう」とも言ったという。
権謀術数に長(た)け、独裁政権の中で生き抜いてきた張氏だが、一方で北朝鮮のあるべき国家像にも心を砕いたとされる。深刻な食糧難、エネルギー難を解消するメドが立たない現実に、合理主義者なら内心、不満を抱いたことだろう。
張氏は昨年、中国を訪問し中朝国境にある黄金坪などの共同開発について協力することで合意し、胡錦濤国家主席(当時)とも会談。金総書記死去後、金正恩体制を支えるナンバー2の「改革・開放行脚」として注目を集めた。
核・ミサイルを手放さない独裁者を前に張氏が露骨に改革・開放を主張したとは思えないが、国内経済立て直しの必要性を助言し続けた可能性はある。
だが、「経済建設・核武力の並進路線」や「経済特区の拡大」などは、張氏の考えが金第1書記という“フィルター”を通過して出てきた側面もあり、現実性に欠けていたり、限定的に終わる公算が大きい。張氏失脚で、北朝鮮が中国式改革・開放路線に舵(かじ)を切るタイミングはさらに遠のいたといえる。
張氏失脚で一番その消息が気になるのが妻の金敬姫(慶喜)・党軽工業部長だ。近年は健康悪化に加え、張氏との別居・不和説も浮上していたが、金第1書記の叔母であり「金ファミリー」の一員だ。わずか数カ月前までは各種行事で張氏と共に金第1書記の横に並ぶ姿も確認されている。金第1書記が金敬姫氏の立場を無視して事を運んだとは考えにくい状況だ。
「情報が漏れないよう密(ひそ)かに、周到に準備し、失脚直前に伝えたのではないか」「金敬姫氏が病床に就いた間隙を縫うようにしてやったのではないか」など憶測が飛び交うが、定かではない。
今年、張氏との確執が伝えられていた崔竜海・軍総政治局長の動向も関心を集めている。「張氏より格下」(北朝鮮専門家)とはいえ、軍の強硬路線を支持しながら頭角を現した。自分が左遷された時に助けてくれた張氏には恩義があるにもかかわらず、その対抗勢力になりつつあった。
日本をはじめ周辺国は、張氏失脚の「その後」を固唾をのんで見守っている。当分は内向き志向が予想され、対外関係の改善は簡単ではないとの予想もある。進展のない拉致問題を抱える日本、非核化を誘導し韓半島信頼プロセスを進めたい韓国、北東アジア情勢を安定させたい米中など、いずれの国にとっても対北朝鮮政策はまだ相手の出方次第だ。
金総書記死去二周忌に当たる17日を前後し、北朝鮮では中央追悼大会や金総書記の遺体が安置されている錦繍山太陽宮殿参りなどが行われる見通しだ。そこでは金日成・金正日・金正恩と受け継がれた「唯一領導体系」の完成が高らかに宣布されるだろうが、金第1書記を挟んで左右に誰が並ぶのか、誰の名前が先に呼ばれるのか、注目だ。
(ソウル・上田勇実)