平安時代の王朝文化は続く鎌倉時代の武家文化に…
平安時代の王朝文化は続く鎌倉時代の武家文化に覆われたが、室町時代に再び現れてきた。室町幕府のそういった「王朝文化の蘇生」の証しの一つに、3代将軍足利義満が建て、その後焼失したとされる七重塔「北山大塔」がある。
その遺物が、京都市北区の金閣寺の境内から初めて出土した。見つかったのは塔最上部に取り付ける金属製の9重の輪「相輪」の破片とみられる。最も大きい破片は幅37・4㌢、高さ24・6㌢、厚さ1・5㌢、青銅製で表面に金メッキが施されていた。
復元すると相輪は直径約2・4㍍になることから巨大な塔だったと推定できる。やはり義満が建て、当時焼失した七重大塔の高さは約109㍍あったとされ、市考古資料館の前田義明館長は「北山大塔は七重大塔にも匹敵する規模だったのではないか」と話す。
京都の東寺の五重塔が55㍍だから、北山大塔がいかに巨大だったか分かる。義満の王朝文化再生の意気込みがこの一事からも伝わってくる。
こういった文化再生を背景に、当時力を得てきた民衆の間にも新しい文化が生まれた。理論構築にも力を尽くした猿楽の世阿弥、墨絵の雪舟、禅の一休和尚、と挙げればきりがない。
その後、応仁の乱、戦国時代を経て、江戸幕府の武家統治が長く続くことになるが、室町文化は今も世界に誇る日本の一級文化であり続けている。日本文化の多層性には驚くばかりである。