「幾万の蝉死に絶えて風の音」(長谷川櫂)…


 「幾万の蝉死に絶えて風の音」(長谷川櫂(かい))。あれほど鳴いていたセミの声がいつの間にか止んでしまった、代わりに秋風が吹いている。そんな光景を詠んでいる。

 都市部では様子は違うだろうが、所によってはセミの声はかまびすしい。自然物なので不快感はないが、空気を圧するような音は相応の存在感を持つ。そんなセミの声が消えていくのと、秋風が吹くのが並行して起こっているのをとらえた句だ。

 「夏が終わってから秋が来るのではない。秋の気配は、夏の間にすでに含まれている」と『徒然草』(155段)は言う。長谷川氏の句にも、そんな様子がうかがえる。

 セミの声の存在感は、どこか控えめな秋の虫のそれと比べても大きい。そのためだろうか、名前が鳴き声に由来するセミがいる。ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシなどだ。ボウシは「法師」だが、このセミは毎年最後まで鳴いている。温暖化のせいか、10月初頭まで続くこともある。

 その声がいつの間にか消える。夏という一つの季節も終わる。春夏秋冬、季節は四つあるのに、「夏の終わり」のインパクトは他の三つに比べて大きい。夏という季節そのものが人に強い印象をもたらすものなのか。

 子供の自殺が一番多いのが9月1日だと言われる。地域差はあるが、夏の終わりは夏休みの終わりに直結する場合がある。長い休暇の思い出とともに、新学期が始まる。