関西人の作家、田辺聖子さんの「いい顔」と…
関西人の作家、田辺聖子さんの「いい顔」と題した1980年代半ばのエッセーに、地方都市にない東京のよさは、さまざまな生業の人たちをのみこむ「ふところの深(さ)」だとある。
「芸術家のタマゴたちが、ドタ靴にボロ服を着て修行している、そういうのをかいまみたりするとき、東京はそれらを産み育てる力が、まだあると感じ入ったり(する)」「『青雲の志』というのが、まだ生きていることを感ずる」とも。
この間、経済のグローバル化、通信技術の発展で世界を身近に感じる国際都市の一つになったが、相変わらず、ふところの深い生活空間が保持されている――今の東京の魅力を一言で言えばこんなところだ。
さて2020年五輪開催で、東京はどんな街に生まれ変わろうとしているのだろうか。五輪招致決定から来月で2年だが、東京のあるべき姿について、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が起こっていても決しておかしくない時期だ。
ところが、実際はそれどころではなくなった感がある。新国立競技場設計をめぐってコンペをやり直すことが決まったので、五輪関係者はそれに気を取られてしまっている。残念なことだ。
東京五輪は「おもてなし」がキーワードになるという。最大のおもてなしは、来日した人たちに「将来は、このような都市になるんですよ」とさりげなく見せ、納得してもらうことのできる東京の姿だ。「将来の東京」についての議論を急ぐべきだ。