世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」…
世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の一つ、韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)を訪ねた。反射炉の建設者、江川太郎左衛門英龍の代官屋敷にも足を運んだ。反射炉建設に込めた先人の憂国の情に触れることができた。
35度前後の猛暑にもかかわらず、多数の見学者が訪れていた。世界遺産効果はやはり大きい。次々とバスの団体客が訪れ、ボランティアの歴史ガイドから説明を受けながら見学していく。
韮山反射炉を中心とした施設は、一言で言えば、西洋式の兵器製造工場だ。嘉永6(1853)年、ペリー艦隊が浦賀沖に現れた翌月、英龍は品川台場の建設に取りかかると共に、炉の反射による高熱で鉄を溶かす反射炉の建設を幕府に建議している。
幕末、異国船の来航を受け、高島秋帆や佐久間象山らの先覚者が「海防」の重要性を訴えた。その海防策の中心にいたのが英龍だった。
国の重要文化財に指定されている江川邸も見るべきものが多い。屋敷の裏門の脇に、徳富蘇峰の揮毫(きごう)で「パン祖の碑」というのが立っていた。英龍は実は、日本で初めてパンを作った人でもある。兵隊食用に乾パンを作ったのだ。
海防のために奔走したこの先覚者を、同じく幕臣であった福沢諭吉や勝海舟は高く評価している。戦後の教科書からこのような英雄が消えたのは腑(ふ)に落ちない。反射炉の世界遺産登録を機に、もう一度光を当てたいものだ。