「噴水や水のさゝらに蝶遊ぶ」(高浜虚子)。…


 「噴水や水のさゝらに蝶遊ぶ」(高浜虚子)。蒸し暑い日が続いている。それでクーラーが欠かせなくなり、その涼しさに慣れてしまうと、外の焦熱地獄へ出る気がしなくなってしまう。が、人によっては冷え過ぎを嫌い、クーラーを利用しないという話を聞く。

 それでは暑くて眠れなくなってしまうのではないかと思うのだが、案外我慢をしている人がいるようだ。気流子よりも高齢の知人にメールで近況を連絡すると、自分はクーラーを使っていないという返事が来た。

 驚いて熱中症にならないか心配すると、あまりひどい時は眠る前に少しだけかけるという。文明の利器を否定しているのではなく、自然に従って生きるのが本来の姿と力説する。

 もちろん自然の風が一番体にはよいのだろうが、やはりほどほどにしないと、とつくづく思う。最近は友人と、腕が上がらなくなったとか腰を痛めたとか病気の話で盛り上がる。医者からもらった薬の数も話題となる。

 高齢になれば、無理が利かなくなってしまうのは仕方がないことだろう。植物は実を実らせ種を作れば枯れていく。機械にも耐用年数があり、メンテナンスを行っても、いつかは壊れてしまう。

 人間もそれほど変わらないので、ほどほどに身体の老化に付き合っていくしかない。その意味で、孔子が『論語』で「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と語っているのは含蓄があると感じる。