八代目坂東三津五郎の随筆「死に目」の中に…
八代目坂東三津五郎の随筆「死に目」の中に、いびきをかく役を続け、妻の危篤を知りながらその死に目に会えなかった神田三郎という役者が出てくる。戦前の東京「有楽座」公演での話だ。
三津五郎が「代役をつくってお帰りなさい」と言うと、神田は「この代役は出来ませんよ(中略)いびきをかくキッカケを間違えたら芝居が滅茶苦茶になりますから、幕になったらすぐ帰ります」と。しかし芝居中、神田は妻が亡くなったことを聞かされる。
「彼がいびきをかくと見物は喜んで笑う。私が寝息をうかがいに行くと、彼の目から涙がボロボロこぼれている」と三津五郎は書いている。大変な愁嘆場だが、日頃の夫婦間の情愛の深さ、介護の末の神田の覚悟が透けて見えホロリとさせられる。
時代を経て、東京では現在、超高齢化社会における老いの在り方への関心が高まっている。有識者らがつくる日本創成会議は、この10年間に東京圏で75歳以上の後期高齢者が175万人増えると推計。
介護施設や人材の不足が危機的状況になるとして、高齢者の地方移住の推進を求めている。かつては想像だにしなかった事態だ。
2013年の日本人の平均寿命は男性が80・21歳、女性が86・61歳。夫を思い、妻を思い、地方移住を果たそうか。口幅ったいようだが、これは21世紀の長寿社会における夫婦の最期の時のかたちを問われているのでもある。