ノーベル賞受賞者の美談ならぬ「怒り」と「犬猿の仲」取り上げた文春

◆社内評価は僅か2万

 また日本人がノーベル賞を授賞した。喜ばしく誇らしいことだ。特に科学部門のノーベル賞は「ナンバーワンでなく、オンリーワンに与えられる」と言われるように人類に貢献する基礎科学に与えられるもので、日本がその分野で極めてレベルが高いことを改めて世界に示した。

 物理学賞を受賞したのは青色発光ダイオード(LED)の開発と実用化に成功した赤崎勇・名城大学教授、天野浩・名古屋大学教授、中村修二・米カルフォルニア大学教授の3人である。

 受賞の喜びを伝えるニュース映像を見て、喜ばしさと共に、若干の違和感を持った。中村氏が「研究の原動力は『アンガー(怒り)』だ」と繰り返していたからだ。日本人的感覚からすれば、地道に一徹に研究に取り組み、周囲の支えもあって受賞した、というようなお決まりの“謙虚な”言葉を無意識のうちに期待する。だが、「怒りを原動力にした」という発言は受賞の喜びとしては異様だ。週刊誌がそんな中村氏を見逃すはずがなかった。

 週刊文春(10月23日号)は中村氏について、「自己主張、そして二百億という高額訴訟を起こしたことから、『変人』とも評される」と紹介する。

 中村氏が青色LEDを開発したのは「日亜化学」の社員だった時分だ。開発の成果は会社のものにされ、報奨金として「二万円」をもらっただけの中村氏は、「怒りを覚えて」退職し、渡米して大学教授になる。その後、日亜社と裁判になり、200億円勝訴を勝ち取る。

 この報道で、「発明は研究者と企業のどちらに帰属するか」という大きな問題が提示された。両者は「8億円」で和解するのだが、これだけでも大きな金額で、この後、研究者の“励み”になったことは事実である。

◆異彩際立たせた新潮

 ノーベル賞受賞によって、過去の軋轢(あつれき)も融け、「日亜社にも世話になった」ぐらいのことを言えば、普通の美談で終わるところだが、中村氏の怒りの根は深く、「今でも日亜を本気で潰したいくらいに恨んでいます」と同誌は「中村氏の知人」に語らせている。裁判ももともとは日亜社が中村氏を訴えて始まったものだった。

 中村氏の主張は、「サラリーマンに正当な発明対価を」というものだ。同氏は文春に、「仕事をするのはお金のためでしょう。でも、日本ではカネよりも名誉みたいな考え方が美徳とされている」と述べている。「仕事に対する正当な評価を」ということだ。

 一方、ノーベル賞受賞者を輩出しつづける日本の学問風土について、週刊新潮(10月23日号)は、「国家の品格」などのエッセイもある数学者の藤原正彦氏に聞いている。

 藤原氏は、「美しい自然の中で育つ」「精神性を尊ぶ風土」の二つを挙げ、特に「金儲けや実用性だけを追求せず、役に立たないと思えても精神性の高いものには敬意を払う土壌が肝要」だと述べている。「100年後に実用化するかどうか分からないことも研究しています。それを“単なる無駄”と考えてしまったら人類の進歩はないんですね」と指摘する。「カネだ」という中村氏の発言がさらに異彩を放ってみえる。

◆慶事に配慮する両誌

 今回の受賞について、「赤崎・天野両氏が発明し、中村氏は量産化する技術を確立した」と言われることに、中村氏は反発している。赤崎・天野氏と中村氏は同じく青色LEDを発明しながら、ずっと「犬猿の仲」だったそうだ。「中村さんは先に赤崎さんたちが発明した青色LEDは商品化には程遠いものだったことから、実用化に耐えうる本当の発明をしたのは自分という考え」だと「科学部記者」は説明する。

 「20世紀中には不可能」と言われた青色LEDの開発に成功したこと自体、ノーベル賞に値する発明だ。実用化に耐えるものにすることも重要だが、まず「はじめの一歩」にこそノーベル賞の賞たる所以(ゆえん)がある。

 文春、新潮両誌とも、「ライバル関係」(中村氏)にある赤崎・天野氏と中村氏について、その関係を掘り下げることはしていない。授賞式までは慶事にケチを付けないようにしているのだろう。

 文春は巻頭のグラビアで中村氏の「知られざる素顔」を取り上げ、「素朴で温厚な性格」「人柄は謙虚」とも紹介している。

(岩崎 哲)