最近日本では、新聞の1面を飾るような考古学…
最近日本では、新聞の1面を飾るような考古学上の発見はあまり聞かない。一方、韓国では地味ではあるが重要な発見が相次いでいる。半島の南西部全羅南道の海岸部を中心に、日本固有の古墳形式と言われる前方後円墳が13基も確認され、埴輪や日本製とみられる武具が相次いで見つかっているのだ。
韓国の前方後円墳は1980年代に入って報告され、日本でも当時、故・森浩一さんら考古学者の間で盛んに議論された。その後日本ではあまり論じられてこなかったが、韓国では発掘が進められてきた。
先日、NHKのETV特集「発見!謎の金銅製馬具」で、その一部が紹介された。日本のテレビで韓国の前方後円墳の内部や出土品まで映し出すのは初めてだろう。日本製の特徴を持つ甲冑(かっちゅう)などを観て、こんなものまで出ているのかと驚いた。
日本で前方後円墳が出現するのは3世紀代。韓国の前方後円墳は6世紀代のもので、出土遺物からも被葬者が倭人(わじん)であることは疑いない。
いわゆる任那(みまな)日本府問題などがあり、韓国の学界では半島での倭の活動を認めたがらない傾向があった。しかし、これらの発見が任那日本府説に結び付くかは分からない。
慶北大学の朴天秀教授は、それら古墳の被葬者を百済王権に仕えた日系官僚とする見方を示している。日本書紀にも、それを示す記述がある。曇りのない眼で見詰めていけば、古代の日韓交流の実相は浮かび上がってくるはずだ。