【上昇気流】情報はどこから伝わってくるものか
「発信者(情報源)が誰なのか気にしない生徒が多い」と中学校の先生が語っていた。特にインターネット交流サイト(SNS)の場合、そうしたケースが多いようだ。情報の中身にしか関心がない。誰が何のために発信したかは無関心。
が、ドストエフスキーであれ夏目漱石であれ、何かの意図や目的があって小説を書いたはずだ。どんな情報も特定の文脈の中に置かれている。情報源が誰であるかは、文脈の中でもとりわけ重要だ。それをそっちのけにして、情報の内容にだけ関心を持つのは不気味な話だ。
学校だけの話ではない。社会全体が情報に対して鈍感だ。日本社会に限らず、世界共通の流れだろう。昔からそうだったに違いない。
情報はどこからか伝わってくるものだから、最初の発信者が誰であるかは分からないことが多い。伝聞や引用の場合も多い。が、伝聞を伝える人も発信者だ。伝えることそのものが発信だからだ。
情報は有料のものもあるが、無料の場合も多い。主婦同士の噂(うわさ)話が有料だった話は聞かない。そのくせ意外に重要な情報が含まれていることがある。
SNSに限らない。どんな情報であれ、発信者が必ずいる。有名か無名か、本名かペンネームか、個人か組織かは不問。直接見聞きしたわけではないことを、気安い仲間に伝えるのも発信だ。そこには応分の責任が発生する。情報の中身と同様、発信者に留意することは、学校教育を含めたあらゆる場面で必要だ。