「ジェンダーの視点」の歪み

《 記 者 の 視 点 》

結婚による女性の幸せ軽視

 メディアに「ジェンダー平等」という言葉が頻繁に登場する昨今だが、ジェンダーとは「社会的・文化的につくられる性別」と解説され、その不平等や偏見が女性に関わるさまざまな課題の背景にあると見るのがジェンダーの視点だ。

 分かるようでもあるし、言葉遊びのようにも感じるが、ジェンダーの視点について学ぶことは必要なことだと思い、ネットで見つけた『ジェンダーから見る日本史』という本を読んだ。

 主に女性研究者たちの手で7年前に編集された本の「ウーマン・リブとフェミニズム」という項目の中に、「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)の団体名を見つけ、数年前に取材で出会った女性のことを思い出した。

 中ピ連とは1970年代、その名のごとくに経口避妊薬の解禁を求めて活動したウーマン・リブ団体だ。還暦を超した読者なら、新左翼を模してピンクのヘルメットをかぶった女性たちが人工妊娠中絶の制限を訴えた男性政治家や、女性を泣かせた会社員の所に押し掛けてつるし上げるなど、派手な立ち回りを演じてメディアをにぎわせた女性集団のことを覚えているのではないか。

 2年前、家庭問題に悩む人への支援活動を行っている女性にインタビューした時のことだ。取材が一区切りついた頃、その女性が「若い時、中ピ連で榎さんたちと一緒に活動したのよ」と、苦笑いしながら打ち明けた。筆者の脳裏に中学生時代、テレビで見た榎美沙子・中ピ連代表の戦闘的な姿が浮かんだ。

 だが、目の前に座る女性の穏やかな顔からは、若い時に過激な女性解放運動に身を投じていたとは到底想像できない。いつどんな心境の変化があったのか。「ある時、知り合いの男性に求婚され、それで自分が求めていた幸せが何かに気付いたのね」。その男性とは現在の夫だという。

 若い時は理想に燃え、差別や不公平が許せないものだが、それが度を超して、視野が狭くなり突飛な行動に走った。しかし、一人の男性から結婚を申し込まれたことで、考えが変わった。それまで押し殺してきた女性性が刺激され、自分が本当に求めていたものは温かな家庭を築くこと。女性を泣かせる男性を許せなかったのは、その裏返しだったのではないか。ジェンダー論者からは“バイアス”がかかっていると批判されそうだが、筆者にはそう思えた。

 ソウル五輪が行われた1988年、日本で『クロワッサン症候群』(松原惇子著)が刊行された。日本経済のバブル期、女性誌『クロワッサン』が描いた新しい女性の生き方は、キャリアウーマンとして独身で過ごすことだった。

 だが、それに憧れ結婚を拒否して生きる道を選んではみたが、結局メディアに踊らされていただけだと気が付いた時には出産適齢期を過ぎていた。街行く親子連れを見掛けては後悔の念を抱く女性たちの葛藤を描いた本は一躍話題となった。

 冒頭の本は、あまりの突飛な主張と過激な行動で女性たちからも見放され、数年で消えた中ピ連を取り上げても、日本の女性史には欠かせないはずの『クロワッサン症候群』には触れていない。男女を非対称の権力関係と見るジェンダーの視点には都合が悪いからだろう。

 社会部長 森田 清策