東京・高尾山の自然研究路を幾つか登ってみた…
東京・高尾山の自然研究路を幾つか登ってみたことがある。次第に気付くようになったのは、新しい道があり、古い道があり、山の姿が人の手で変化してきたということ。
先日、登山口の清滝駅から6号路の「びわ滝コース」に入った。シャガの花が満開で、石仏があり、信仰の歴史を感じさせた。妙音橋からコースを外れて橋を渡り、東京高尾病院の脇を登っていく。
その先に作家・中里介山が草庵を結んで住み、『大菩薩峠』の幾つかの巻を書いたという場所があるはず。大正12年から14年にかけてのことで、確かに石碑があったが、周りは藪(やぶ)だった。
伝記によると、介山は草庵を建てる前、二軒茶屋の佐藤旅館に滞在した。場所はすぐ下の病院のある辺りだ。介山が滞在していた当時の高尾山には、清滝駅もケーブルカーもなく、賑(にぎ)わいもなかったらしい。
昔の人がびわ滝に向かったのは、この草庵跡から山中をたどるトラバースルート。びわ滝からは急な上り坂をたどって尾根の展望台に至り、そこから1号路を歩いて高尾山薬王院に着く。
昔のメインルートはもう一つあった。小仏関所方面から蛇滝を通って尾根に登る道だ。介山は草庵から尾根を越えて蛇滝によくやって来た。沢沿いのこの道は今、登る人が少ないが、修験道の由緒ある道。ケーブルカーは昭和2年の営業開始で、介山は建設が始まると山を去った。この日、6号路はびわ滝から上が登りのみの一方通行だった。