沖縄「孔子廟」違憲判決、中国の「見えない手」に触れぬ平和ボケの各紙
◆政教分離のみに焦点
「見えない手」。オーストラリアの作家、クライブ・ハミルトン氏は中国共産党のスパイ工作をそう呼んでいる。至る所に浸透しているのに人々は気づかない。いや、気づこうとしない。だから「見えない」のだ。
沖縄でそれを象徴するのは先週、最高裁が違憲判決を下した那覇市の松山公園にある「孔子廟(びょう)」と言えば、違和感を抱かれるだろうか。このことに触れるメディアは皆無だった。むろん違憲判決は大きく報じられ、各紙は社説でも論じた。いずれも憲法の政教分離原則ばかりに焦点を当て、背後にある「見えない手」は全く書かなった。いや、見えていないから書けなかった。平和ボケは度が過ぎているように思う。
最高裁が違憲判決を下した「久米至聖廟」は10年前に那覇市が社団法人久米崇聖会に設置を許可し、2013年に完成したものだ。市は「教養施設」として土地使用料も全額免除した。これには当時から疑問視され、訴訟が起こされた。
そもそも久米崇聖会には公益性がない。琉球王国時代に渡来した中国福建省出身者の末裔(まつえい)(それも男子)だけが会員になれる。その人々が住んでいたのが久米地区だ。以前は松山公園とは別の場所にあり、学業成就の御利益お札を販売していた。催される孔子祭は宗教儀式だ。松山公園の「廟」はかつての建物を復元したものでも文化財でも何でもない。
それで最高裁は市が公園敷地を無償提供しているのは憲法が禁じる宗教活動に該当するとして違憲判決を下した。当然だろう。いったい誰がこんな「違憲事業」を推し進めたのか。メディアはそこに迫るべきだが、各紙そろってスルーした。わずかに本紙社説が論及している(26日付)。
◆踊らされた故翁長氏
「久米至聖廟の設置を許可したのは、当時の翁長雄志市長だった。土地使用料の免除は、翁長氏が便宜を図ったとの見方もある。翁長氏は中国のシンボルである龍柱や中華街の建設も計画し、これには中国による沖縄への浸透工作を懸念する意見もあった」
ここに「見えない手」が浮かび上がってくる。翁長氏とは「オール沖縄」を称し、米軍普天間飛行場の辺野古移設反対の旗振り役を担ってきた前県知事のことだ(18年8月、死去)。現在の玉城デニー知事はその後継者だ。その翁長氏が「見えない手」にどう踊らされたのか、新聞が報じないので振り返っておく。
翁長氏は那覇市長時代(2000~14年)に中国・福州市(福建省都)との交流を活発化させ、05年には「福州名誉市民」になった。11年秋には自ら団長として“使節団”(那覇市・福州市友好の翼)を率い、共産党幹部に歓待された。「久米至聖廟」の設置を許可したのは同年のことだ。
そこから「那覇・福州友好都市交流シンボルづくり事業」を強引に押し進める。那覇港埠頭(ふとう)8号岸壁に大型観光船が入港すると、龍柱が市内に入る若狭地区の幹線道路の両脇で出迎える。観光客は龍柱の間を通り抜け、さらに進むと件(くだん)の孔子廟と福州園(中国式庭園)のある松山公園に至る。そこを経て首里城を訪れる。これが翁長ビジョンで、すでに出来上がっている。
那覇市の都市計画マスタープランの中では、若狭地区に隣接する久米地区を「福州園や天妃宮などを核とし歴史性を活かしたクニンダ(久米人)のまちづくり」と位置付け、中華街を造ろうとしている。これでは沖縄はまるで中国だ。沖縄の独自色を消し、ひたすら中国化させたい「見えない手」の思惑が知れる。
◆唯一批判の琉球新報
ところで違憲判決に唯一、批判社説を掲げたのは琉球新報で「沖縄の歴史、文化的な背景との齟齬(そご)が否めず、理解に苦しむ判決だ」と息巻いている(26日付社説)。沖縄の歴史・文化と齟齬を来しているのは「久米至聖廟」の方だ。朱に交われば赤くなる。ここにも「見えない手」が垣間見える。
(増 記代司)