「宗教音痴」だった宗教社会学者

《 記 者 の 視 点 》

「知的巨人」と称されたマックス・ウェーバー没後100年

 マックス・ウェーバー(1864~1920)は、「知的巨人」と称される大きな業績を残した宗教社会学者で、日本にも大きな影響を与えた。それは日本人が近代合理主義を学びたいという意図からだったが、今年は没後100年で、そのような時代はもう過ぎ去ったようだ。

 記念して特集が組まれたり、出版物が出されたりしたが、筆者も妻マリアンネ・ウェーバーによる伝記『マックス・ウェーバー』(大久保和郎訳、みずず書房)を読み直した。そこからは業績だけからはうかがい知れない人間的側面が浮かび上がってきて、興味をそそられた。

 学生時代の経済史ゼミの思い出だが、文学部の女子学生がいて伝記を材料に報告した。それは経済学部の学生には違和感を感じさせた。

 この伝記を読み直してその理由が分かる。ウェーバー自身の言葉で言えば彼が「宗教音痴」だったことだ。明確な善悪観も、宗教心も、持ち合わせていなかった。これは驚くべき事実だった。その彼がよりによって、プロテスタンティズムを学び、古代ユダヤ教を学び、『宗教社会学論集』という著作を著すのである。

 こうした矛盾は、価値相対主義という彼の主張にも発展するが、伝記から分かるもう一つのことは、彼自身の価値判断に関する優柔不断、怯懦(きょうだ)、煮え切れない態度だ。

 ウェーバーの時代、後に思想界を混乱させるあらゆる思想が出そろってくる。例えば「一人の人間への愛情の永続性を信ずることは迷妄」だとする「性の共産主義」を、フロイトの弟子が唱える場面を体験する。それが社会的に影響力を持ってくるのを知ると、ウェーバー夫妻は衝撃を受けるが、同意しないまでもフロイトの研究を理解し、意義を認めるのだ。「悟性をもっては善悪を判断できない」というのが彼の立場だ。反対ならばはっきり意見を言ってほしい、と思うが、彼はそれをしない。

 ウェーバー研究について書評であれこれ取り上げてきたが、この彼の矛盾性がどこから生じたのか、よく理解させてくれたのが羽入辰郎氏の労作『マックス・ヴェーバーの哀しみ』(PHP新書、2007年)だ。

 著者はソーシャルワーカーとして精神科の病院に勤務し、その経験を基に、ウェーバーの家族関係から、彼の学問が何だったのかを解き明かした著作だ。

 伝記を読めば母子関係の濃厚さが異常だと気付かされる。母ヘレーネは厳格なカルヴィニストで、息子は父親に似て宗教嫌い。母が嫌いだった息子は、大人になってから懸命に尽くそうとし、嫌々ながら宗教を扱う羽目になる。

 著者の分析によれば、愛されずに育った息子が、いつかは母が自分を振り向いてくれるかもしれないという希望にしがみ付き、精神疾患に苦しめられ続けた人生だった。

 同書でも『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を取り上げ、バニヤンの『天路歴程』からの引用で捏造(ねつぞう)、創作し、カルヴィニズムを貶(おとし)める判断をしていたことを証明している。

 客員論説委員 増子 耕一