かつては昆虫採集をする子供が多かった。…


 かつては昆虫採集をする子供が多かった。小学校時分、夏休みの課題で昆虫標本作りは歓迎された。「自然との触れ合い」が好ましいものと評価されたのだろう。それが1960年代後半ごろから「昆虫採集=悪」という意見が聞かれるようになった。標本作りのためには、昆虫を殺さなくてはならない点が嫌われた可能性も考えられる。

 同時に昆虫採集は、自然破壊の一例と見なされるようになった。「自然保護」の理念に反するものとされた面があったのかもしれない。

 半面、商売上蝶(ちょう)を毎年3000万匹も捕獲したが、個体数が減らなかったという話もある。底知れない繁殖力を考えれば、採集ぐらいで昆虫(自然)が絶滅することはないようにも思える。

 21世紀に入ってからは「気持ち悪い」との理由で昆虫を嫌う風潮も現れた。昆虫採集の是非以前に、昆虫そのものを「悪」と見なす傾向だ。都市化が進む中、昆虫と出合う機会がめっきり減った結果、嫌う人が増えたのだろう。

 一般に欧米人は、昆虫の好き嫌い以前に、虫に無関心なことが多いとも言われる。日本人は、昆虫採集に対する意見はさまざまでも、セミの声であれ、秋の虫の鳴き声であれ、今でも最小限の文化は残っている。

 その点では、日本人と欧米人は違っているようだ。そんなことを言えば、膨大な『昆虫記』を書き残したファーブル(1915年没)はフランス人だ。欧米人も人それぞれなのだろう。