韓国の「反日の政治学」 政権支持率アップは一瞬だけ

“誘惑カード”手放せるかが課題

 「国交正常化以降、最悪」といわれる日韓関係。月刊朝鮮(8月号)が「韓日外交戦争1年、考え直す韓日関係」の記事を載せている。筆者は金(キム)亨俊(ヒョンジュン)明智大教授で韓国選挙学会会長、同政治学会副会長等を歴任した人物である。

 毎年8月15日に韓国では「光復節」(日本植民地解放)を祝い、大統領が演説で日本にどのように触れるかが注目されてきた。“最悪”な状況で今年、文(ムン)在寅(ジェイン)大統領がどのように言及するか、両国メディアが見守っており、そのタイミングで韓国政治学会から見解を示しておく、という趣旨の記事だ。

 結論から言うと、韓国も日本も両国関係を「政治に利用し過ぎている」ということ。相手国を批判・攻撃することで支持率を上げる効果はあるが、それは瞬間的であり長続きはしない。相手国への悪感情だけが残る、というものだ。冷静な分析である。

 金教授が引用している金(キム)大中(デジュン)元大統領の言葉が印象的だ。「50年にもならない不幸な歴史のために1500年にわたった交流と協力の歴史全体を無意味にさせることは本当に愚かなこと」と語った。1998年、日本を訪れ、国会(参議院)で行った演説でだ。

 この時、小渕恵三首相(当時)と金大統領は「日韓パートナーシップ宣言」を出している。戦後日韓関係で最良の瞬間だった。金大統領は国内の強い反対を押し切って「日本文化開放」を強行し、その結果、日本に韓流ブームをもたらした。先見の明はもちろんだが、日本を知る政治家として、迷いなく断行できたのだろう。

 だが、歴代の大統領は支持率が下がってくると「反日カード」に手を出す誘惑に負けてしまう。ほぼ例外なく、就任当初は「これ以上、歴史を蒸し返さない」と太っ腹な姿勢を示すのだが、それが守られたためしがないのだ。

 金(キム)泳三(ヨンサム)氏は「悪い癖を直す」(95年)と叱り付け、盧(ノ)武鉉(ムヒョン)氏は「竹島の日」制定(島根県2005年2月)をきっかけに日本批判を世界的に展開、李(イ)明博(ミョンバク)氏は韓国大統領として初めて竹島に上陸、天皇に跪(ひざまず)いて謝罪せよと言ったり(12年)、朴(パク)槿恵(クネ)氏は「恨みは千年消えない」(13年)と言って、それぞれ一瞬だけ、韓国民の喝采を浴びた。しかし、誰の末路を見ても、それらがとても効果的だったとは言い難かった。

 文大統領は最初から「反日」政策を推し進めている。口では「未来志向」を言いながら、積年の課題だった「元慰安婦問題」を解決した日韓合意(15年)を事実上反故(ほご)にしたり、「元徴用工」裁判では請求権協定を覆す判決が出ても放置したままで、とても、日韓関係を改善させようとの意思は見られないのが実情だ。

 金教授は、文大統領の底意を次のような例を挙げて説明する。日韓関係が極度に悪化した19年7月、「李(イ)舜臣(スンシン)将軍がわずか12隻の船で国を守った」と強調し、当時秘書官だった曺(チョ)国(グク)氏も東学党の乱(1894年)の時歌われた「竹槍(たけやり)の歌」を紹介した。いずれも「反日フレームを強化するものだ」と指摘する。

 日本人にはピンとこないかもしれないが、韓国人にしてみれば、日本に立ち向かった「精神」を強調したもので、政府の対日強硬姿勢をアピールしたのだ。

 韓国の政治家がなぜ「反日」政策を取るかといえば、「瞬間的なもの」ではあるにせよ、一定の効果があるからだ。与党共に民主党のシンクタンク「民主研究院」は19年7月に「日本の輸出規制で膨らんだ韓日葛藤(かっとう)が20年総選挙に好材料となる」趣旨の報告書を作成していたことが分かり、問題となったことがあった。だが“圧勝”したことは事実である。

 ただ、大多数の韓国民は政府の反日政策とは別に、日韓協力が必要なことは認めている。これが日本から見て分かりにくいところなのだが、韓国政府が軍事情報包括保護協定(GSOMIA)破棄をちらつかせた頃、韓国民はむしろ日本との安保協力の必要性を認めていた(必要52・1%、不要28・5%)。また「歴史問題とは別に韓日協力を強化すべきだ」が59・3%にも上る(いずれも韓国ギャラップ調査)。

 日本とは経済でも安保でも協力関係が不可欠なのに、しばしば韓国政治家が使う「反日カード」。世界が二極の対決状況になってきている中でカードを切る余裕はなくなってきている。「未来志向的韓日関係の転機がつくられるのを期待する」(金教授)のは日本も同じだが、この“誘惑カード”を手放せるかどうかは韓国政治家に懸かっている。

 編集委員 岩崎 哲