大型連休は終わったが、今年は様子が違って…
大型連休は終わったが、今年は様子が違っていた。例年であれば、新幹線や高速道路、空港などの混雑の様子が報道される。祖父母と孫の出会いと別れの光景も映し出される。が、今年に限っては逆に人出の少なさが話題になった。
「大型連休で人出が多いのは当然。そんな分かり切ったことを報道するのに何の意味があるんだろう」と思うのが例年のことだった。
8月のお盆休みも、暮れから正月にかけての休みも同じこと。休みが続けば、国外も含めて人々が移動するのは報道にさえ値しないほどに普通の光景だった。どこにも行かない人々もそこそこいるだろうが、こうしたケースはなぜか話題にならない。
ところが今、「混雑のなさ」ばかりが報道されるようになってみると、月並みでありふれた光景が実は貴重なものだったと改めて思う。
「相変わらず」は、社会各分野の幾つもの条件が、小さなトラブルは避けられないとしても、おおむね予定通りに進行した結果のもので、大げさな言い方をすれば「天の配剤」だったことを今年は知った思いだ。
「相も変わらぬ」と見えた大型連休の各地の光景は、平凡でも凡庸でもありきたりでもなく、実は得難い瞬間だったようなのだ。国の内外を行き来する人も、それを報道する側も、その報道を「バカバカしい」と受け止める人も、その得難さにまで思い至ることはなかったのではないか。感染症が写し出した現実に、自然の底知れぬ深さを痛感する。