「たんぽぽや日はいつまでも大空に」(中村…
「たんぽぽや日はいつまでも大空に」(中村汀女)。以前、この欄で駅でタンポポを見掛けたことを書いた。このほど駅で再び見ると、花に交じって白い絮毛(わたげ)の丸い玉が2~3本立っていた。白い球体からは人工物のような印象を受けるが、子供の頃、ふっと息を吹き掛け、種を飛ばして遊んだことを思い出した。
タンポポの花言葉には「真心の愛」「愛の神託」「神託」などがある。これは、古くからヨーロッパでは、絮毛で恋占いをしていたことが元になっているようだ。
かつては地方に住んでいたので、タンポポはどこでも見られた。民家の庭、路地や空き地、公園、土手、学校のグラウンドなど、咲いていた場所と共にタンポポの記憶をすぐに思い起こすことができる。
タンポポは特別なものではなく、ごくありふれた花で、ことさら観察したりということはない。都市化が進む中、所々に存在する自然の中で生き物たちと共に遊んだものだ。
東京に来てからは、年々タンポポを見掛ける回数が減っている。といっても、全くないわけではない。ただ、群生した姿を見ないだけだった。ただ一度、荒川河川敷で群生を見たことがある。風のためか、地をはうような低いタンポポが絨毯(じゅうたん)のように敷き詰められていた。
タンポポの花言葉には「別離」もある。絮毛がバラバラになって空を飛んでいくからだという。ふと、現在の新型コロナウイルスによる閉塞(へいそく)感からの解放を連想した。