米大統領の信教の自由擁護 「祈りの力」を取り戻す
《 記 者 の 視 点 》
米ホワイトハウスの大統領執務室がまるで教会の一室のようだった。
「君たちには祈る権利がある。それ以上に重要なものはない」
トランプ米大統領は今年1月、生徒や教師が学校で祈りを捧(ささ)げることは憲法で認められた権利であることを再確認する通達を出した。公の場から宗教を排除しようとするリベラル勢力の影響で、生徒らの信教の自由が否定される事例が相次いでいるためだ。
テキサス州の中学校では、交通事故に遭った元クラスメートの兄弟のために、一部の生徒が回復を願って食堂の一角で祈りを捧げたところ、校長から「二度とやるな」と咎(とが)められた。保護者が苦情を言うと、体育館など隠れて祈るように指導されたという。
学校が生徒に祈りを強制してはならないが、生徒が休み時間などに自主的に祈ることは、最高裁判決ではっきり認められている。トランプ氏の通達は、教育現場にこれを徹底させることを意図したものである。
トランプ氏は、各地の学校で「宗教迫害」を経験した生徒や教師らをホワイトハウスに呼び、彼らの前で通達を発表した。大統領が重要な発表をするとき、関係者を招くことはよくあるが、興味深かったのは、トランプ氏が生徒や教師たちにそれぞれの体験を一人ずつ語らせ、真剣に耳を傾けていたことだ。
「祈る権利」を守るために訴訟を起こした生徒もいれば、信仰を理由に差別やいじめに遭った体験を告白する子もいた。ユダヤ教徒の女子高生は、持ち物や腕にナチスのかぎ十字を落書きされたつらい過去を話しながら泣き出してしまった。この話に他の生徒らももらい泣きしていた。
筆者はこの様子を動画で見ただけだが、感動的な雰囲気はひしひしと伝わってきた。このようなやりとりが私的な会話ではなく、メディア各社が取材する目の前で堂々と行われたことに、大きな驚きを覚えた。
トランプ氏が信教の自由擁護に取り組むのは、再選に向けて宗教票を固めるためだとの見方がある。そうした政治的計算が働いているのは間違いないが、表面的なパフォーマンスで子供たちの涙を誘うようなやりとりができるだろうか。信教の自由、特に神に祈りを捧げるという行為が米社会に欠かせない要素であることを、トランプ氏は本心から思っているのだろう。
ペンス副大統領が2018年に語った内容によると、ホワイトハウスで行われる会合は、トランプ氏が「祈りで始めよう」と述べ、ペンス氏や閣僚メンバーが開会の祈りを捧げることが当たり前になっているという。
米国がイギリスと戦った独立戦争(1775~83年)の最中、植民地代表者が集まる大陸会議は「断食と祈りの日」を何度も設け、神の導きを得て難局を乗り越えようとした。祈りは米国の建国の伝統と言っていい。
「祈る権利」の擁護というと、法律的な側面ばかりを考えがちだが、実はその主眼は「祈りの力」を米社会に取り戻すことにあるのだろう。
編集委員 早川 俊行