憲法の理想と自衛隊 国連に梯子を外された9条2項
《 記 者 の 視 点 》
衆参両院の予算委員会の審議が続いているが、盛り上がらない。国民の関心は新型コロナウイルス感染症に向かい、野党の質問が「桜を見る会」問題などの疑惑追及に集中し、外交、安保、少子高齢化・人口減少対策など骨太な政策論議はなし。憲法審査会も開かれず改憲議論も停滞している。
そんな中で注目したのは、1月27日の予算委員会での小野寺五典(いつのり)議員(自民)と安倍晋三首相の憲法と自衛隊をめぐるやりとりだ。
「日本国憲法の制定過程で前提となるのは国連主義だった。国連が保障するのが世界平和、ワンチームとなって世界が集団安全保障体制になる。だから戦争は起きない。だから武器は要らない。…ところが現実はどうか」
小野寺氏は、憲法制定後、国連安保理の常任理事国同士が東西冷戦を起こし、その後もさまざまな紛争を起こしてその平和主義の約束が効力を失う中、保守政治家が現実対応をする中で、自衛隊に対する憲法解釈や安保法制に至る、国を守る法整備が行われてきたと指摘。首相も同様の見解を示し「自衛隊をしっかりと憲法に明記し、その正当性を確定することこそ、安全保障、防衛の根幹だ」と答えた。
憲法と国連の関係について、最近の学者は条文と国連憲章との関連性などにしか言及しないが、制定当時の学者にとっては、9条が戦争放棄に加え、戦力不保持、交戦権否認まで闡明(せんめい)する中で、国をどう守るのかという切実な現実と直結していた。
憲法制定の翌年(1948年)に発行された「註解日本國憲法 上巻」(有斐閣)を見ると、9条について以下のような記述がある。
第1項については、「(28年)不戦条約とほとんど同一の趣旨を規定した」もので、「法律的にはかような国際法上の義務を国内用で規定した意味を有するにすぎない」。その一方で、第2項は「国際法上の義務以上にすすんで軍備を廃止し、自衛のための戦争までも放棄した」と評価し、そのため「これからの日本の安全は、…強化される(国際)連合によって保障されるのであり、連合による以外は保障の道がない。本章の規定も、この保障を前提としてはじめてその意味を持つ」とまで言っている。
著者は石井照久(民法)、伊藤正巳(英米法・憲法)、鵜飼信成(憲法・行政法)、団藤重光(刑法)、三ケ月章(民事訴訟法)など東大の有志研究者17人。ある意味、この時点の見解はすっきりしていた。
しかし、東西冷戦が激化して朝鮮戦争勃発と警察予備隊創設(50年)、独立回復と保安隊・警備隊発足(52年)を経て53年に出た改訂版では、国連による安全保障への疑問を前提として、実際に取られた講和条約と日米安保条約による安全保障に対するさまざまな解釈が登場し、憲法論議は複雑怪奇な様相を呈し始めた。
現在の国際情勢は東西冷戦の終結後、中国の膨張主義、中東の動揺などでさらに大きく変化している。日本は、国連により梯子(はしご)を外された憲法9条にいつまで拘(こだわ)り続けるのだろうか。
政治部長 武田 滋樹