文在寅政権の自家撞着 保守派に「土着倭寇」の烙印

由来の東学農民軍の名誉は回復

 今、韓国で、日本に理解を示したり、擁護する発言をすると「土着倭寇(わこう)」の烙印(らくいん)を押される。相手を侮蔑する悪口で、「親日派」とほぼ同程度、韓国では最低級の罵(ののし)り言葉だ。韓国語の悪口は豊富で、日本では「バカ、アホ」程度しかないところ、韓国では無数に相手を貶(おとし)める言葉がある。腕力(実力)でなく言葉(理念)で闘争してきた歴史を反映したものだ。

 この土着倭寇は半島に定着した「倭寇」を示す。倭寇は鎌倉末期から室町末までの時期、半島や大陸の沿岸部と交易していた武装商人やその護衛集団の「水軍」で、時に海賊行為を働いた。だが「倭人」ばかりでなく、中には倭寇を装った半島人、大陸人の海賊、その混成部隊も多くいたという。いずれにせよ、倭寇には野蛮で未開の印象が強い。

 最近になって土着倭寇という言葉が使われだしたのは、政権批判をした保守派の朝鮮日報を指して、青瓦台幹部が批判したのがきっかけだった。以来、ネットで土着倭寇はすっかり定着した。

 だが、この言葉は最近の造語というわけではない。東亜日報が出す総合月刊誌新東亜(10月号)に「土倭は東学農民軍を示した胸痛む言葉」の記事が掲載されている。これを読むと李朝末期の捻(ねじ)れた歴史が浮かび上がってくる。

 「土倭(土着倭寇)とは東学農民軍を示す言葉だ」と同誌は指摘する。意外な感じがする。東学党の乱(甲午農民戦争、東学農民運動とも)は1894年に半島南部で起こった「反外国勢力、反封建」の農民の乱だ。東学とは西学(キリスト教)とも朱子学とも違う朝鮮独自の思想を指し、乱の指導者は東学の幹部たちだった。

 朝廷が反乱を鎮圧できないことから、政権の実権を握っていた閔(ミン)氏は宗主国・清の援軍を呼び込んだ。当時半島に進出していた日本も公館護衛、邦人保護を理由に出兵した。これが日清戦争のきっかけとなるが、その前に、農民軍を制圧するため、朝廷と封建地主は「義兵」を組織し、農民軍を“暴徒”と規定して厳しい弾圧を加えた。

 韓国では、東学農民軍を虐殺したのは日本軍だと教えられているが、実際は「朝鮮の官軍と封建地主が組織した義兵だった」と同誌は明かしている。後に日本が義兵を鎮圧する際、義兵に恨みを抱く農民軍参加者の多くが加わった。さらに日本との合併を進める政治結社「一進会」にも彼らは加わっていった。そのことから彼らは日本を引き込み併合を後押ししたとして「親日」のレッテルを貼られ、土着倭寇と呼ばれるようになった。

 ここでおかしなことに気付く。文在寅政権は「東学農民革命の精神を継承した」と自任する政府だ。彼らは「東学農民革命参加者の名誉回復に関する特別法」を2018年3月に施行し、親日派、土着倭寇として民族反逆者にされていた彼らと子孫の名誉回復を行っている。なのに、その政府自身が、相変わらず“日本の肩を持つ者”を農民軍と同じように土着倭寇と規定するのは明らかに自家撞着(どうちゃく)だ。

 さらに、日本批判で曺国(チョグク)氏(当時、民情首席秘書官)は東学農民軍の歌「竹槍(たけやり)の歌」を持ち出し、日本との戦いで玉砕の覚悟を示した。これもおかしい。農民軍は土着倭寇のはずで、日本に協力して義兵狩りを行った唾棄すべき存在のはず。しかし、韓国政府は彼らの名誉を回復し、その精神を継承するのだから、歌を取り上げるのは間違っていないが、それなら、政府批判勢力を土着倭寇と呼ぶのでは前後が合わないだろう。

 新東亜の指摘は、精神の流れで混乱する韓国の事情を伝えている。国内の分裂対立に常に濃い影を落とす「日本」に対する“忌々(いまいま)しさ”も感じられるが、絡まった糸をほどいて整理するのは彼ら自身しかおらず、日本はその事情を“理解”するしかない。

 編集委員 岩崎 哲