崔順実ゲートの根底にあるもの 西洋と異なる儒教的「公私観」

「忠義」より「孝行」を価値的に重視

 「崔順実(チェスンシル)ゲート」で大揺れの韓国。崔氏が朴槿恵(パククネ)大統領をコントロールし「国政を壟断(ろうだん)」したとして、大統領に退陣を求めるデモが毎週ソウルの広場を埋めている。

 この騒動に関して、韓国では歴代大統領が「汚職」で断罪され、惨めな末路を辿(たど)るのは民族性に由来しているからという解説が多い。一族に権力者が出ると、郎党がそれにたかり、恩恵(利権等)が分けられるのは当たり前であり、もしそれを親族に分けなければ批判される風土がある、というのだ。

 現象面から見れば、その通りなのだが、しかしこれは皮相な見方である。彼らの民族性が形成された根底には、韓国・朝鮮人の独特な「公私観」が横たわっていることに注目しなければ、真の姿を理解することはできない。

 朝鮮日報社が出す総合月刊誌「月刊朝鮮」(12月号)で、「国家経営において公私区分の王者は朴正煕(パクチョンヒ)だった」の記事が載っている。書いたのは劉光鎬(ユグァンホ)・朴正煕大統領記念財団招聘(しょうへい)研究委員だ。

 劉氏は「東洋と西洋の公私観には差がある。(略)西洋の公私区分は領域的な区分だ」という。つまり「公(おおやけ)の場」だ。それに対して「私」は「個人的な領域」を言った。

 わが国はこの「西洋の領域的区分の公私観」に近いと言えるだろう。社会や会社、集団、組織などは「公」であり、個人、家庭、親族などは「私」の領域となる。そこでは公を優先し、私を制限したり犠牲にすることもある。

 ところが、儒教を生活規範としてきた韓国人の公私観は違う。「儒教伝統を中心にした韓国と中国では公と私がまず場所的に区分されるよりは、価値的という点が最も大きな特徴だ」と劉氏は説明する。

 つまり「儒教では適切な親孝行が公になる。すなわち、道徳的によいことや善なるものは公で、悪いこと不道徳なものは私と考えられてきた」というのだ。領域的に見れば、私に属する個人や家族も、「善なるもの」であれば公として捉える、ということになる。

 さらに「孔子の公私観は本末論的差別性を持っていた」として、「両親・子供関係は『私』ではあるが生命の根源、根本に該当する。それで国家という共同体は必要だが、両親・子供、夫婦および兄弟間の価値ほどには重要ではなかった」というのだ。

 従って、「修身と斉家は場所的には私的領域に属するが、価値的には根本的で、治国と平天下は公的領域に属するものの、価値的には枝葉末節にすぎなかった」となる。言い換えれば、「孝行」は「忠義」よりも価値的に重要とされていたということだ。

 分かりやすい例を引こう。丙子胡乱(1636~37年、清が朝鮮に攻め入り制圧した)の時、大臣・金尚憲(キムサンホン)は主戦論を唱えながらも、老母の面倒を見るといって、王の側(そば)を離れたが、これは「孝行」であり「公」ということになる。

 旧韓末、東大門の外に集結した義兵の総大将・李寅泳(イイニョン)は「親の喪が出たという訃報を受けて、直ちに帰郷した」が、これも同じように「公」だ。西洋的価値観に立てば、総大将が戦争をほったらかして、親の葬式に帰ってしまうのは「私」を優先した無責任な行動以外の何ものでもない。

 朴大統領が、家族ではないが家族以上の「親友」である崔順実をある意味、国家より優先したのは、朴大統領にとっては「公」だったからなのだ。そうみれば、朴槿恵・崔順実の関係がおぼろげながら分かってくる。

 さて、伝統的儒教の公私観に対して、西洋的公私観を当時の統治者の日本から学んだ朴正煕は一切の親族・側近への利益誘導を退けた。電化事業で、真っ先に田舎の故郷に電線を引こうと気を回した役所に対して、兄の朴東煕(パクドンヒ)は「一番最後にせよ」と固辞したというエピソードが残るほど、親族もそれに従った。

 朴槿恵氏が対国民談話で「自分は一切、私的な利益は追求したことがない」と述べたのは本気でそう思ってのことだろう。朴家の公私観と崔家のそれが違っていたのである。

 編集委員 岩崎 哲