南北共同宣言に不満吐露 07年に金正日総書記述べる
米軍駐留に不快感
さらなる経済支援督促?
2007年10月の第2回南北首脳会談当時、北朝鮮の金正日総書記が7年前に金大中大統領と合意した南北共同宣言を「紙くず」と評し、韓国側により具体的な経済協力や在韓米軍撤廃などを求めていたことが明らかになった。このほど盧武鉉政権時の元閣僚らが記した回顧録の内容を韓国 メディアが伝えた。(ソウル・上田勇実)
盧政権の元閣僚ら回顧録
第2回首脳会談前 北側近が極秘訪韓
回顧録は盧政権で閣僚などを務めた金万福・元国家情報院長、李在禎・元統一相(現、京畿教育監)、白鍾天・元青瓦台(大統領府)安保政策室長の3人による共著『盧武鉉の韓半島平和構想―10・4南北首脳宣言』。
それによると、金総書記は2000年の南北首脳会談で合意した南北共同宣言(通称、6・15共同宣言)について「(その後の)5年間を見た時、象徴的なものと化した空っぽのスローガンとなり、紙くず、空箱になったと思う」と述べたという。
これは「共同宣言以後、韓国から北朝鮮への経済協力が北朝鮮側の期待するほどではなかったことを遠回しに表現したもの」(韓国紙)で、回顧録は「北朝鮮はまず相互の経済協力問題を重点的に話し合う必要があるという戦略的判断をしたものとみられる。短い首脳会談の期間に具体的な統一方案に重点を置けば、むしろ会談の進展を妨げると憂慮したようだ」と記している。
北朝鮮は当時既に北朝鮮に融和的な韓国左翼政権から一方通行的に経済支援を受けていたが、さらなる実利を得ようと韓国側にプレッシャーをかけていたことが浮き彫りになった。
また金総書記は在韓米軍と関連し、「南北間の軍事的敵対関係を解消することがより重要」としながら「南(韓国)が自主的な態度を見せられずにいる」と指摘したという。
これを受け会談で盧大統領は「われわれは米国に依存してきたし、親米国家であることが客観的事実」としながら「南(韓国)のいかなる政府も一日にして米国との関係をすぱっと切って北がやっている水準の自主を行うのは不可能だ。時間がもう少し必要」と答えたという。
在韓米軍の撤退は、北朝鮮が民族同士による自主を謳(うた)いながら実際は自分たちのペースで南北統一を実現させる上で必須事項と位置付けてきたが、盧大統領はこれに理解を示し、時間的猶予を乞うという韓国大統領としては極めて従属的かつ危険な態度で接していたことが分かった。
回顧録は休戦協定を事実上の終戦を意味する平和協定に転換させる問題をめぐり盧大統領と金総書記が交わした会話の内容についても触れている。金総書記は当初、この問題は南北間ではなく「北朝鮮と米国との間で解決すべき事項」という立場に固執し、話し合いに応じようとしなかったが、盧大統領の説得により共同宣言に盛り込まれた。
ただ、宣言文は北朝鮮の意向で「3者または4者の首脳が終戦宣言する問題を推進するため協力する」という曖昧な表現となり、韓国・北朝鮮・米国なのかこれに中国まで加えるのかをめぐりさまざまな臆測が飛ぶことになった。回顧録はこれについて「中韓国交正常化後の中朝間の葛藤を考慮すると同時に今後、中国の参加を対中国カードに活用するためのもの」と説明している。
回顧録はこのほか首脳会談直前の07年9月下旬、北朝鮮の対韓国政策を総括する金養建・労働党統一戦線部長が極秘裏に1泊2日でソウルを訪問し、青瓦台で盧大統領と面談したことを明らかにした。首脳会談を前に南北間で極秘に交渉を進めるなど、当時の緊迫した裏舞台の様子が伝わってくる。
今回の回顧録は、第2回南北首脳会談での合意を盛り込んだ共同宣言が発表されてから8周年になるのに合わせて出版された。
一方、盧元大統領を慕い支持する「盧武鉉財団」などが中心となって開催した8周年記念式が2日、ソウル市内で行われ、盧元大統領の側近で有力な野党系の次期大統領候補でもある新政治民主連合の文在寅代表が記念辞を寄せた。
文氏は、北朝鮮への一方的な支援を見直し、武力挑発などに断固たる対応をした李明博政権5年と朴槿恵政権の現時点までの3年弱の保守政権約8年間における南北関係を「暗黒期」と切り捨て、政権交代した暁には自らが掲げる「韓半島新経済地図構想」と休戦体制を終息させる平和体制の構築を進めると意気込んだ。
仮に文氏が再来年の大統領選で当選した場合、こうした対北融和路線を敷く可能性が高く、第3回南北首脳会談が実現すれば、さらなる対北経済支援などが話し合われることになる。北朝鮮としては久しぶりに韓国から甘い汁を吸いたいところだろう。






