金第1書記の不安あらわ? 地雷事件から緊張続く南北関係
内部結束へ韓国を挑発
南北軍事境界線付近での地雷爆発事件に端を発した韓国と北朝鮮の軍事的緊張とその後の高官協議での合意に至る、8月に起こった一連の南北危機は終始、北朝鮮が何らかの必要性に迫られ慌てて動いたという印象を強く残した。そこには極端な恐怖政治で周囲を従わせる最高指導者・金正恩第1書記の不安な心理が隠れているとの見方が出ている。(ソウル・上田勇実)
対北宣伝放送に猛反発
「南南葛藤」不発の誤算も
「地雷事件の伏線として注目すべき行事が今年6月平壌であった」
北朝鮮による対南工作に詳しい韓国のある専門家はこう指摘する。その行事とは6月17日の「第1回偵察イルクン(要員)大会」。ここに各種工作活動の総本山とも言える国防委員会直属の朝鮮人民軍偵察総局とその隷下部隊などに所属する全要員が集結した。北朝鮮の国営メディアによれば、この大会に姿を現した金第1書記は「恩讐(韓国)を討て」と命じたという。
地雷が爆発した地点は軍事境界線に近い非武装地帯(DMZ)の韓国側。「ここまで忍び込んで作戦を展開するのは正規軍ではなく、高度な訓練を受けた特殊工作員」(上記専門家)の可能性が高い。つまり地雷敷設は6月の大会で金第1書記の命を受けた要員の仕業だというのだ。
こうした対南攻勢は、いまだ掌握し切れずにいる国内権力基盤の問題と関連していそうだ。本気で全面戦に突入する実力も覚悟もないことは、在韓米軍を擁する韓国との軍事力の格差からしても明らかだ。
地雷敷設や準戦時態勢の宣言など一連の挑発行為は「金第1書記の求心力アップに利用された側面が強く、南北間の軍事的緊張で最も恩恵にあずかったのは実は金第1書記だった」(金泰宇・元韓国統一研究院長)と考えれば辻褄(つじつま)は合う。
北朝鮮が内部結束に躍起になっているのは、韓国軍による対北宣伝放送に猛反発し、その中断を執拗(しつよう)に求めてきたことからもうかがい知ることができる。
地雷爆発で韓国軍兵が両足を失う大けがを負ったことで、韓国は報復として11年間中断していた大型拡声装置による対北宣伝放送を再開させた。韓国紙によれば、拡声装置は軍事境界線沿いに計11カ所あり、その音声は最大で二十数㌔先まで届くという。
韓国国防省によると、報道内容は「自由民主主義の優越性」「韓国の発展ぶり」「民族の同質性回復」「北朝鮮社会の実情」に焦点を当てたもの。金第1書記による恐怖政治の実態など普通は内部で知り得ない情報からK―POPなど韓国に親近感を抱かせるものまで幅広いプログラムだ。
普段は金第1書記偶像化や体制賛美のプロパガンダで目が曇っている北朝鮮の軍人や住民が、放送を繰り返し聞くうちに真実に目が開き、体制の矛盾を悟るいわば心理戦の一種だ。2010年に北朝鮮が延坪島を砲撃した後に報復措置として検討されながらも「その威力が南北関係に大きな影響を及ぼすため保留にされた」(韓国紙)という経緯があるほどだ。
北朝鮮は今回の高官協議で、対北宣伝放送の中断を執拗(しつよう)に迫ったといわれるが、それはこうした内容に接した最前線の兵士たちの士気に甚大な悪影響が出ることを金第1書記が恐れたためである可能性は十分ある。
協議が3日間というマラソン協議になったのも、放送中断という金第1書記の至上命令を達成するまでは、協議を決裂させるわけにはいかなかった北朝鮮側の事情も大きく作用したとみられる。もし放送中断を韓国に承諾させられないまま平壌に帰れば、何らかのおとがめがあるのは間違いない。
ところで、今回の挑発で北朝鮮にとって一つ誤算だったのは、韓国の世論が対北強硬と対北融和に二分されるいわゆる「南南葛藤」が起きなかったことだ。
これまでは北朝鮮が武力挑発するたびに「戦争が起きたら大変」「北を刺激し過ぎない方がいい」といった融和論が必ず浮上したが、今回は特に若者たちが「挑発は通じないと北に思い知らせるべきだ」とむしろ憤慨している。
北朝鮮の挑発に毅然(きぜん)と対した朴大統領の支持率は、直近の韓国ギャラップの世論調査で大幅上昇し、今年最高の49%だった。
今回の協議では、「挑発には謝罪と再発防止」を要求した韓国側と「対北宣伝放送の中断」を取り付けたい北朝鮮側の互いに譲れない一線でぎりぎりの折衝が繰り返されたが、北朝鮮による日本人拉致問題をめぐり金正恩政権との交渉を続ける日本政府にとっては“観戦ポイント”が多かったはずである。