米大使襲撃に見る韓国の苦悩
「親北反米」の暴挙再び
リッパート駐韓米国大使がソウル市内で左派運動家の男に刃物で襲われ、大けがを負った事件は、一部の過激な親北反米主義者に韓国社会が振り回される現実を改めて浮き彫りにした。米韓分断を警戒する保守派と背後説に否定的な左派との陣営対立も見られる。(ソウル・上田勇実)
政府は米韓分断警戒
左派、背後勢力説を牽制
火種抱えた「大衆化時代」に
容疑者の男は市民団体「ウリマダン(われわれの庭)独島守護」のキム・ギジョン代表(54)。犯行の際、今月から始まった米韓合同軍事演習を批判していたことから演習に抗議する政治的目的があったとみられている。
金容疑者はソウルの有名私大出身で、学生時代から親北反米主義者だったという。金大中・盧武鉉両左派政権時代に政府の承認を得て計7回訪朝し、その後も韓国国内の親北反米運動にしばしば参加。2011年に金正日総書記が死去した時には、ソウルの古宮・徳寿宮の前に焼香所を設置しようとして物議を醸したこともある。
反日運動家としても知られ、10年には当時の重家俊範駐韓大使がソウルのプレスセンターで講演した際に、「竹島」と言及したことに言い掛かりをつけ、重家大使に向けコンクリート片を投げ付け、外国使節暴行罪で懲役2年(執行猶予3年)を言い渡されたことがある。
このほか07年に青瓦台(大統領府)前で1人デモをしていた最中、ガソリンをかぶり焼身自殺を図って全身に火傷を負うなど、極端な行動に出ることが多かった。交友関係はあまりなく、「変人」扱いされることもあったようで、これだけ見ても相当の「危険人物」だったことが分かる。
事件を受け、韓国政府は親北反米運動に対する警戒感をあらわにしている。また米韓関係の分断や同盟に悪影響が出ないよう米側と努力することで一致した。韓国メディアは連日、事件を詳報し、保守系主要紙は1面トップ記事で「米韓同盟を切り裂いた従北テロ」(朝鮮日報)、「リッパート大使 『従北家』のテロに遭う」(文化日報)などの見出しを出し、親北反米主義に対する批判を展開している。
国内の親北反米運動に精通する柳東烈・自由民主研究院院長は、今回の事件が持つ意味についてこう指摘する。
「韓国全体の対米感情はおおむね健全だが、金容疑者のような一部の急進的反米主義者は『韓国は米国の植民地』『米大使館は日本植民地統治時代の総督府と同じ』などと考え、大衆を扇動する影響力も持っている」
実際、韓国は過去に苦い経験をしている。02年に女子中学生2人が米装甲車にひかれ死亡した事件を発端にした大規模反米運動や、08年に李明博大統領が米国産牛肉輸入再開に踏み切ったことを契機に起こった反米・政権退陣運動などは、いずれも急進的な左派運動家が主導的な役割を果たしたとみられている。
一方、野党の新政治民主連合をはじめ左派陣営は「事件はあくまで単独犯行によるもので、背後勢力とは関係ない」などとし、親北反米主義とは一線を画して世論の批判が自陣営に飛び火しないよう躍起だ。
韓国ではここ1、2年の間に、極左野党・統合進歩党(昨年末、憲法裁判所の命令で解散)に所属する国会議員が内乱扇動や国家保安法違反で有罪判決を受けるなど、親北反米主義者による過激な行動で国全体が大揺れする事態があったばかり。繰り返される「親北反米」の乱に政府も頭を悩ませている。
捜査結果を待たなければならないが、金容疑者は単独で犯行に及び、背後の組織や勢力、ましてや北朝鮮からの指示などは存在しないとの見方が有力だ。だが、金容疑者のような人物を育てた「親北反米」の政治風土が韓国に残り続ける限り、同じような事件が発生する恐れがある。
1980年代に左翼学生運動に身を投じたいわゆる「386世代」は今や40代、50代となり、親北反米主義者の高齢化を指摘する向きもあるが、火付け役さえいれば今は「反米運動の大衆化時代」(柳院長)であるため、爆発的な反米運動が広がる可能性は常にある。
北朝鮮の党機関紙・労働新聞や朝鮮中央通信は事件後、「戦争狂の米国に下された相応の懲罰」などと指摘し、犯行を事実上支持した。韓国の親北反米主義者たちは、北朝鮮の“お墨付き”に鼓舞される傾向があるだけに、第2、第3の事件を画策する可能性も排除できない。
今回の事件で金容疑者が、リッパート大使を非難した北の対南宣伝メディアに触発されたのではないかとする報道もある。