「自分で逃げた」は突き返し 援護の申請書


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 遺族連合会による座談会では、援護金の威力も赤裸々に話されている。

 <Z 援護法制定は昭和二十七年ですが、沖縄の方々が受給できたのは昭和三十二から三十三年、数年遅れでした。数年分のお金がまとまって入ったら、親戚から厄介者にされていた未亡人が一転して親戚から大事にされるようになったとか、家を建てたとか、お墓を建てたという話も聞きました。といっても当時の遺族の生活は本当に大変で、ともかく遺族会の業務は遺族を陰に日なたに助けることでした。>

 さらに、0歳であっても戦闘協力者とみなされ、援護法の対象となった経緯にも触れている。


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