フィリピン日系人、両陛下心待ちに


マニラで9年ぶり全国大会、2世の女性「うれしい」と涙

フィリピン日系人、両陛下心待ちに

フィリピン日系人会連合会会長のイネス・マリャリさ=14日、フィリピン・ミンダナオ島ダバオ(時事)

 天皇、皇后両陛下が26日からフィリピンを公式訪問されるのに合わせ、同国在住の日系人約200人が28日、マニラに集まり、9年ぶりに全国大会を開く。うち日系2世は約100人が出席。両陛下の同国訪問を心待ちにしている。フィリピン日系人会連合会会長で日系3世のイネス・マリャリさん(44)は「高齢となった日系2世がこうして集まるのは恐らく最後。両国をつなぐ日系人としての誇りを持って両陛下をお迎えしたい」と話している。

 日本人のフィリピン移住は19世紀末から始まった。アバカ(マニラ麻)栽培が行われた同国南部ミンダナオ島のダバオでは、1941年には日本人移民が約2万人に達した。ダバオ在住で日系2世の田中愛子さん(84)は父吉郎さんが熊本県出身。母アリガンさんとの間に、田中さんを含め8人が生まれた。「豊かで、食べ物に不自由はしていなかった」と戦前の生活を振り返る。

 41年に太平洋戦争が勃発。旧日本軍の攻撃が始まると、日本人は一カ所に集められ、食べ物もなくなった。45年に米軍の反撃が開始され、住民に避難命令が出された。父と兄は徴用されて家族の元を離れており、田中さんは母、弟3人、妹の計6人でジャングルに逃げ込んだ。

 田中さんの母は避難生活中、川で洗濯していた際に空からの機関銃攻撃に遭い、精神的に不安定になった。ある日の夜、「天皇陛下万歳」と言ってカミソリで2人の弟の首を切り付け、無理心中を図り、末弟が亡くなった。終戦直前に再会した父は、戦後間もなく他界した。

 「戦争は二度とない方がいい」と話す田中さんは戦後、日本人会結成に関わり、日本語教室も開いた。「苦しんできたので、両陛下が来てくださるのは本当にうれしい」と話し、涙を拭った。

 娘のエリザベスさん(53)によると、田中さんが戦争の詳しい話をするようになったのは5年ほど前から。「年を取り、心を整理する中で、抑え切れない思いがあるのだろう」と推し量った。(ダバオフィリピン時事)