澤今季で引退、「神様の試練」乗り越え続け


「なでしこ」の顔、今日の会見で決断の経緯を説明

澤今季で引退、「神様の試練」乗り越え続け

サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で優勝し、笑顔を見せる澤穂希(中央)=2011年7月、ドイツ・フランクフルト(AFP=時事)

 「穂希(ほまれ)」の名前は生まれた年が米の不作で、父が豊作を願って名付けた。そんな澤の口癖は「試練は、それを乗り越えられる人だけに神様が与える」。言葉通りのサッカー人生だった。

 サッカーとの出会いは6歳。少年団に入っていた兄の練習について行き、たまたま蹴ったボールがゴールに入り、とりこになった。男子に交じってプレーし、めきめき上達。15歳で日本代表に初選出された。

 だが、今でも万全ではない女子サッカーの環境は、当時もっと過酷だった。注目を浴びることもなく、1999年には当時の所属先からプロ契約を打ち切られ、やむなく単身米国に渡った。

 どんな時も、下を向かない。2004年アテネ五輪アジア予選の北朝鮮戦もそうだった。右膝の大けがを隠して国立競技場のピッチに立ち、2大会ぶりの五輪出場に導いた。「苦しい時は私の背中を見て」。背番号10は日本女子サッカーを背負っていつも必死だった。

 数々の苦難に負けなかったから、11年のW杯ドイツ大会の世界一もあった。米国との決勝では、延長後半に起死回生の同点ゴール。技術と気持ちを全てぶつけた。「長い道のりで、厳しいこともたくさんあった。やり続けてよかった」。体調不良を克服して翌年のロンドン五輪も銀メダル獲得に貢献した。

 控えに回った今夏のカナダW杯から帰国直後、代表での次の目標を聞かれ「次のことは正直まだ分からない」と答えた。リオデジャネイロ五輪前の決断は惜しまれるが、「なでしこ」の花が大きく咲いたことを見届け、役目を果たし終えた思いもあるかもしれない。