日馬富士2年ぶり優勝、故障越え「忍んだ2年」
夏場所後に右肘手術、名古屋場所で再び痛め…
敗れた日馬富士は、支度部屋に戻るとじっとテレビを見詰めた。結びで白鵬が負けたのを見届けると報道陣の方を向き、「俺、優勝だよな」。気恥ずかしそうに笑った。
稀勢の里に完敗。相手得意の左四つで一気に寄り切られ、口をへの字に曲げて悔しさを隠せない。「負けて優勝は初めて。不思議な気持ちだ」
それでも実に12場所ぶりの賜杯を手にした。「忍ぶ2年間だった」。度重なる故障に苦しみ、夏場所後には右肘を手術。名古屋場所で再び痛め、秋場所も続けて休場した。満身創痍(そうい)で臨んだ今場所の前半は危うい相撲が続いたが、「ひたすら努力して精いっぱい一番に集中しよう」と自らを鼓舞。次第に調子を上げていった。「優勝してもしなくても、この13番には満足している」。全てを出し切った笑みも浮かんだ。
20日に死去した北の湖理事長(元横綱)は、賜杯から遠ざかっていた横綱に厳しい評価を与えながらも陰では心配してきた。「最後まで務められて良かった。恩返しができた」と日馬富士。ようやく横綱の責任を果たした安堵(あんど)も交じり、目を潤ませた。