社会派作家山崎豊子さん、空襲や恋愛つづる
デビュー前の20~21歳当時に記した日記を発見
「白い巨塔」「沈まぬ太陽」で知られ、戦後を代表する社会派作家の山崎豊子さん(1924~2013年)が文壇デビュー前の20~21歳当時に記した日記が見つかり、新潮社が13日付で発表した。山崎さんの現存する最初期の文章で、大阪大空襲や恋愛について切実な言葉でつづられている。代表作「花のれん」などにつながる内容も見られ、注目を集めそうだ。
日記はA5判ノートに45年元日~3月27日の日付で記され、全72ページ。今年2月、堺市の自宅で関係者が存在を確認した。
大空襲があった3月13日付では「自分の生涯を通じ(中略)忘れる事の出来ない(できない)日」と記述。防空壕(ごう)を出た後の「必死の消火」や「両側は火の海」の御堂筋を人々が逃げ惑う様子、船場の焼けた老舗の実家前で立ち尽くす父の姿などが、デビュー前と思えない筆致で描かれている。
恋愛については、自身を「凪(なぎ)よりも嵐を呼ぶ女だ」と記す一方、思いを寄せた男性への出征前後の切ない心情や「彼に会うまで死にたくない」と当時の切迫した空気を伝える。
おいで、山崎豊子文化財団事務局長の定樹さんは「恋について柔らかく味のある文章を書いていて驚いた。戦争への思いの原点もあり、(自身で)大事に保管していたのではないか」と話した。
新発見のデビュー作「暖簾(のれん)」創作ノートも含め、新潮社が近く刊行する「山崎豊子スペシャル・ガイドブック」に一部掲載。9月から東京・日本橋の高島屋で開かれる「追悼・山崎豊子展」(横浜、京都、大阪市を巡回)でも展示される予定だ。