生きる「地震の教訓」、どう継承するかが課題


阪神大震災から20年、各地で追悼行事が催される

生きる「地震の教訓」、どう継承するかが課題

追悼の集いでろうそくに火をともし、黙とうする人たち=16日午後5時46分、兵庫県伊丹市の昆陽池公園

 6434人の命を奪った1995年の阪神大震災から17日で20年。壊滅的な被害から手探りの復興を遂げ、美しくよみがえった被災地は今、東日本大震災の被災地をはじめ、世界に地震の教訓を発信する「防災・減災」の町となった。今後、記憶の風化や、復興地域の人口減少など、残る課題をどう継承していくかが問われることになる。

 地震発生時刻の17日午前5時46分には、各地で追悼行事が催され、遺族らが犠牲者への黙とうをささげる。兵庫県は天皇、皇后両陛下を招いた式典を県公館などで執り行う。

 住宅被害約64万棟、被害総額約10兆円に上る都市直下型地震。県は「創造的復興」を掲げ、10年間で総事業費約17兆円に及ぶ復興計画に取り組んだ。13地区で行われた大規模な区画整理事業が完了したのは2011年3月。ただ、被災前の地域に戻れない住民もおり、にぎわいを失った商店街もある。「心の復興」は千差万別だ。

 阪神大震災が国の防災対策や市民活動に与えた影響は大きい。犠牲者の大部分が建物による圧迫死で、倒壊家屋には耐震基準を満たさない古い木造住宅も多かった。国は建物の耐震強化を推進し、98年には家を失った被災者を救済する「被災者生活再建支援法」を制定。その後の自然災害で一定の役割を果たした。

 「ボランティア元年」と呼ばれた95年を機に、NPO法人などによる市民活動は、社会を支える基盤の一つに成長した。地震という負の経験により蓄積された技術や知識は、災害大国日本が自然の脅威に立ち向かう武器となっている。

 阪神大震災の被災地で、震災を体験していない住民は4割を超えた。記憶を次世代に引き継ぎ、災害の犠牲者を一人でも減らす。決意を新たに、被災地はこの日、静かな祈りに包まれる。