中村修二さんノーベル賞、後に続く若者に力を


不利な環境は工夫で乗り越え、地方で生まれた創造性

中村修二さんノーベル賞、後に続く若者に力を

産業イベントの会場に展示された発光ダイオード(LED)の光を見詰める児童=10日、徳島市

 ノーベル物理学賞の受賞が決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授(60)は愛媛県で生まれ育ち、徳島県で青色発光ダイオード(LED)を開発した。不利な環境は工夫で乗り越え、地方の企業で偉業を達成。米国に拠点を移すまで四国を出なかった。ノーベル賞は後に続く若者に、地方が持つ可能性を示した。

 「地方大からノーベル賞受賞者が出たのは、ものすごく大事なこと。創生の鍵になる」。中村さんを電子工学に導いた徳島大の福井萬壽夫名誉教授(71)は、十分な環境が整っていなかった当時の状況をプラス要因と考えている。研究環境は都市部の有名大に比べ「雲泥の差」。実験機器や研究素材は全て手作りで、「自分たちの手足や頭を使わないといけなかった」。この環境が、世界を驚かせる創造性を育んだ。

 中村さんが徳島大大学院から就職した当時、日亜化学工業(徳島県阿南市)は従業員160人程度の中小企業だった。OBの元管理部長岩浅英二郎さん(76)は「大卒者はほとんどおらず、社員みんなの顔が分かった」と振り返る。

 中村さんは自分で装置を作り、会社と対立しながら青色LEDの開発に成功。日亜は製品化に全力を挙げ、8000人超の従業員を抱える世界的企業になった。岩浅さんは「会社をつくるのに地方も中央もない。良い人材が集まれば良い仕事ができる」と断言した。

 「別の世界のことだと思っていたノーベル賞を身近に感じた」。遺伝子工学を志望する県立城南高2年の片岡あいさん(17)は、放課後や休日を活用してコケや藻類の成分を研究している。中村さんの快挙に触発され、「私も世の中に新しいものを発信できるようになりたい」と目を輝かせた。