錦織圭、全米テニスで日本人初の決勝へ


新たな足跡、「もう一つ歴史つくる」

錦織圭、全米テニスで日本人初の決勝へ

男子シングルス準決勝、錦織圭のリターンショット=6日、ニューヨーク(EPA=時事)

錦織圭、全米テニスで日本人初の決勝へ

男子シングルス準決勝でノバク・ジョコビッチを破り、跳び上がって喜ぶ錦織圭=6日、ニューヨーク(AFP=時事)

錦織圭、全米テニスで日本人初の決勝へ

パブリックビューイング会場で、錦織圭選手に声援を送る観客=7日未明、松江市

 ラケットを放り投げ、全身で喜びを表現した。しかし、錦織に快挙を成し遂げたという様子はない。「歴史をつくれてうれしいけど、レコード(記録)は気にしない。決勝へしっかり気持ちの準備を整えたい」

 以前はついて回った体力面の不安は全く見せなかった。強烈なフォアや角度のあるショットで世界ランキング1位のジョコビッチを押し込む。第3セットは5-3からのサービスをキープできなかったが気落ちせず、タイブレークでもぎ取った。試合が進むにつれて相手に疲れが見え始め、どちらが王者か分からない展開となった。

 錦織の名が広く知られたのは18歳だった2008年。2月のデルレービーチ国際でツアー初優勝を遂げ、半年後の全米オープン3回戦で当時世界4位のフェレール(スペイン)を破ってみせた。

 5歳で父清志さん(58)からテニスを教わり、中学2年で渡米。留学した米フロリダ州ブラデントンのIMGアカデミーで技術を磨き、プロとしての土台を築いた。

 プロになりたての頃、対戦相手にコート上で威嚇されてリズムを乱し、敗れたことがあった。09年には右肘を疲労骨折して手術を受け、1年近く戦えなかった。ランキングを意識し過ぎてプレーが乱れ、落ち込んだこともある。いくつもの試練を経て、11年に日本男子最高位の記録を更新。そして今年5月、ついにトップ10入り。清志さんは「テニスを始めて1年後ぐらいには、『世界一』ということを考えていた。最初は妄想だったけど、今はそうじゃない」。

 準決勝後の記者会見。錦織は「もう一つ歴史をつくりたい」と言った。アジアの男子で初の四大大会シングルス制覇という快挙に挑む日が、いよいよやってくる。