ユダヤ人難民を迎え入れた敦賀


資料館に10万人以上が訪問、町に伝わるエピソードの数々

ユダヤ人難民を迎え入れた敦賀

ユダヤ難民を温かく迎えた敦賀市民の逸話を聞く来館者たち=福井県敦賀市の「人道の港 敦賀ムゼウム」

 「日本のシンドラー」と称(たた)えられるリトアニアの日本領事代理だった杉原千畝(ちうね)によって、1940(昭和15)年、日本通過ビザを発給されたユダヤ人難民が、シベリア鉄道でロシアのウラジオストクにたどり着き、日本海を越えて日本の地を踏んだのは、福井県敦賀市の敦賀港だった。

 港の一角に建つ「人道の港 敦賀ムゼウム」(ポーランド語で資料室の意味)は、戦前に建っていた旧敦賀港駅舎を復元した2階建てで、20人も入ればいっぱいになる。外観も古びているが、6年前のオープン以来、今年5月末までに10万5000人を超える来館者があった(同館調べ)。(日下一彦)