地域の足、第三セクターの三陸鉄道が復活


「待ち望んだ」思い乗せ、駅は築堤で津波対策

地域の足、第三セクターの三陸鉄道が復活

津波で高架橋や駅舎が流された三陸鉄道北リアス線の島越駅付近(写真上=2011年4月11日、三陸鉄道提供)。防災対策として堤防型の土台が築かれた(2014年3月18日)

 岩手県沿岸部を走る第三セクターの三陸鉄道で6日、東日本大震災以来3年ぶりに全線が復旧する。最後まで残った不通区間で運行が再開。地域の足として「三鉄」の愛称で親しまれる列車が、待ち望んだ住民の思いを乗せ再び走りだす。

 1984年、国内初の三セク鉄道として北リアス線(71キロ)と南リアス線(36・6キロ)で開業。普段は高校生の通学やお年寄りの利用が多いが、車窓からは風光明媚(めいび)なリアス式海岸や太平洋を一望でき、車内を畳敷きに改造した「お座敷列車」はNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」にも登場した観光の目玉だ。

 しかし、2011年3月11日の大津波は駅やレール、橋などを押し流し、被害は317カ所におよんだ。「先が見えない状態だった」。望月正彦社長は振り返る。

 地震の2日後、社長が被害状況の確認に出ると、がれきで通れない車道の代わりに線路の上を歩きながら家族を捜したり避難所に向かったりする住民の姿が。「三鉄いつ動くの?」。春から三鉄で高校に通う予定だった生徒の親が尋ねた。「待っている人がいた」

 自衛隊の協力でがれきを撤去し、同16日、久慈-陸中野田間の11・1キロで初めて運行を再開。停電で信号機が動かず社員が交代で駅に立ち旗を振り、沿線住民らが駅の草取りを買って出た。不通区間は徐々に解消していった。

 100億円余りの復旧費には国費が充てられ、流された駅は津波対策を取り入れ生まれ変わった。海抜13・5メートルの高架橋にありながら津波で流された北リアス線島越駅は、新たに堤防型の土台を築き、場所を約150メートルずらして高台への避難階段に直結させた。

 駅周辺の家が流され、地域住民の利用は震災前の半分以下になったが、制服をまとった美男子キャラ「鉄道ダンシ」を考案したり、被災したレールを1本5万円で販売したりとアイデアをこらし、観光需要の掘り起こしにも努めた。