旧日本軍の豪空襲から80年、ダーウィンで追悼式


モリソン首相も出席、「今では最も信頼できて誠実な友人」

旧日本軍の豪空襲から80年、ダーウィンで追悼式

19日、オーストラリア北部ダーウィンの空爆80年を追悼する式典で献花したモリソン豪首相(中央)(時事)

旧日本軍の豪空襲から80年、ダーウィンで追悼式

19日、オーストラリア北部ダーウィンで旧日本軍の空爆から80年の追悼式典の終了後に退役軍人のブライアン・ウィンスピアさん(左)と話すモリソン豪首相(時事)

旧日本軍の豪空襲から80年、ダーウィンで追悼式

オーストラリア北部ダーウィン

 太平洋戦争中に旧日本軍がダーウィンなどオーストラリア北部への空爆を開始してから19日で80年を迎えた。ダーウィン市内ではモリソン豪首相ら約4000人が出席して追悼式が開かれた。

 式典では、実際の空爆開始時刻に合わせて襲来する爆撃機に地上で応戦する当時の様子が再現された。ダーウィンは連合国の補給基地で、日本に対する反攻の拠点だった。ダーウィンを中心とした豪北部に対する空爆は1942年2月から43年11月まで計97回に達し、260人以上が死亡した。

 モリソン氏は、安倍晋三元首相が2018年に日本の首相として初めてダーウィンを訪問し共に時を過ごしたことに触れ「(ダーウィンが)和解の場所になった」と指摘。「この都市や国に、こうした暴力を与えた敵は、今では最も信頼できて誠実な友人の一人になった」と述べた。

 式典には、当時を知る退役軍人のブライアン・ウィンスピアさん(101)も参列。18日に取材に応じ、空爆を受けて隠れた塹壕(ざんごう)で「爆弾の破片を手と目に受けた」と恐怖の瞬間を振り返った。だが、今では日本に敵意を抱いておらず、「日本車が好き」と語った。

 18日には、空爆の約1カ月前にダーウィン沖で沈没した旧日本軍の潜水艦「伊号第124」の乗員80人全員の名前を刻んだ慰霊碑がダーウィンで披露され、日豪間で進む和解を印象付けた。(ダーウィン(オーストラリア北部)時事)