「夢でも会いたい」、海辺で肉親や友人しのぶ
震災3年祈り深く、各地で犠牲者へ捧げる
東日本震災から3年を迎えた11日、東北地方の海岸では、早朝から大勢の人が亡くなった肉親や友人をしのんだ。「夢でも会いたい」「津波の教訓伝える」。激震とそれに続く津波が穏やかな暮らしを一変させたあの日を思い、手を合わせた。
津波で多くの住民らが犠牲となった仙台市若林区荒浜では、時折小雪が舞う中、多くの人が祈りをささげた。妻や両親ら5人を亡くした大学敏彦さん(59)は「子どもと仕事に救われたが、そうでなければつらかった」と話した。
震災当時、荒浜に住んでいた佐藤正昭さん(67)と妻ふじ子さん(66)は揺れを感じ、すぐ高台に避難。近所の住民に声を掛けたが、全員は助けられなかったといい、「残念で悲しい」と悔やむ。犠牲者の名前が彫られた石碑で友人らの名前を探した2人は、「今は前向きだけど、また一緒にお酒を飲みたかったと思う」と語った。
慰霊碑の前には多くの花束や酒が供えられた。固く目を閉じて上を向き、涙をこらえる男性の姿もあった。
宮城県南三陸町で職員ら43人が命を落とすなどした防災対策庁舎前。この場所で津波にのまれたが奇跡的に助かった同町職員の三浦勝美さん(51)は「あっという間の3年だった。仲間のことを考えない日はない」と声を詰まらせた。「あなた方の死を決して無駄にしない。津波の教訓を全国に伝えていく」と誓ったという。職員だった23歳のおいを亡くした女性(57)は「流された時、一体どんな気持ちだったか」と悔しそうにうつむいた。鉄骨だけとなった庁舎を見上げ、「いまだに実感が湧かない」と語った。
福島県相馬市磯部地区では、被災者251人の名前が刻まれた慰霊碑の除幕式があった。避難誘導中に殉職した消防団員の息子を持つ60代の女性は「3年間、毎日写真に手を合わせている。夢でもいいから会いたい」と涙をこぼした。家族4人を亡くした会社員の遠藤誠一さん(32)は「こっちは元気でやってる。そっちも元気でいて」と涙を拭いながらつぶやいた。