盧泰愚氏が死去、過渡期担った「普通の人」
バランス感覚で実績残す、韓国現代史の「光と影」を体現
26日に死去した盧泰愚氏は大統領在任中、冷戦構造崩壊という時代の流れに乗り、過渡期の韓国をリードした。軍人出身ながら、温和な笑顔で「普通の人」を標ぼう。持ち味のバランス感覚を生かして、実績を残した。しかし、退任後は韓国の大統領経験者として初めて逮捕され、一気に転落。その歩みは韓国現代史の「光と影」を体現していた。
盧氏は幼い頃、交通事故で父を亡くし、貧しい家庭で育った。陸軍に入り、士官学校同期で親分肌の全斗煥氏のサポート役に徹し、全氏が主導した1979年のクーデターで重要な役割を果たした。80年の全氏の大統領就任後も忠実に補佐し、後継者に引き立てられた。
87年に与党の大統領候補に選ばれたが、この直後、直接投票を求める激しい民主化デモの嵐にさらされる。苦境に追い込まれた盧氏は、直接選挙の受け入れなどを柱とする「民主化宣言」を電撃的に発表。「優柔不断」と評される盧氏が全氏の助言を受け入れたとされるが、盧氏は回顧録で「87年に入ってから考慮していた。全氏が言い出さなければ私の決断を明らかにしなければならないと決心していた」と主張している。
穏やかな風貌も相まって、「軍人色」を薄めた盧氏の人気は急騰した。直接投票による大統領選では、金泳三、金大中両氏ら野党勢力を抑えて勝利した。
88年に大統領に就任すると、全氏と距離を置き、全政権下での不正を追及。世界的な東西雪解けムードの中、旧ソ連、中国との国交正常化を実現した。半面、国内政局では与党入りした金泳三氏に主導権を奪われ、指導力不足も目立った。
「普通の人に戻る」。93年の退任前の記者会見で、盧氏は静かな引退生活を思い描いた。しかし、95年に多額の不正資金疑惑が発覚。79年のクーデターや民主化運動を弾圧した80年の光州事件の責任も、全氏とともに問われ、法廷に立たされた。特赦されたものの、97年に内乱罪、収賄罪などで懲役17年が確定した。
こうしたマイナスイメージもあり、華々しい外交面での実績の割に韓国での評価は低い。だが、軍事政権から金泳三氏以降の文民政権につなぐ歴史的役割を担った功績は大きい。(ソウル時事)