白鵬が引退へ、不世出の横綱がついに花道
夢を追った「痩せっぽち」、帰国寸前から金字塔数々
2000年秋にモンゴルから来日した175センチ、62キロの少年は、角界関係者の目には爪ようじのようにさえ映った。白鵬自身も「痩せっぽちで、特別ではなかった」。幾つかの部屋に入門を断られ、いったんは帰国便が手配された。そんな船出から20年余りの力士人生で、数々の金字塔を打ち立てた。
父ムンフバトさん(故人)はモンゴル相撲の元横綱。天性の柔軟さや、しなやかな足腰の動きを、四股やてっぽうで磨き続けた。師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)は、「牛乳は毎日5リットル。ちゃんこを(消化できず)もどすこともあった」と言う。こうして192センチ、150キロを超える体をつくり上げた。
懐の深さを生かした右四つの形は洗練され、反応の良さも抜群。22歳で横綱になってから8年以上は休場と無縁で、これが相撲史を書き換える礎になった。
09年に史上最多の年間86勝を挙げると、翌年には憧れる双葉山の69連勝に次ぐ63連勝。大鵬の32回が最多だった優勝回数は15年初場所で更新。通算勝ち星も歴代1位に上り詰めた。
塗り替える記録が見当たらなくなっても、目標を失わなかった。知人から「優勝40回の大台」を狙うよう背中を押され、「体が熱くなった」と奮起。ひたむきに基礎運動を繰り返す姿は、駆け出しの頃と変わらなかった。
一方で、近年は荒っぽい張り差しやかち上げが目立った。暴力を振るった力士に関して「あえて愛のムチと呼びたい」と容認するかのような発言も。優勝時に土俵下でインタビューを受けた際、観客に万歳三唱を呼び掛けたり、三本締めを促したり。第二の人生は、一連の言動が批判された本質的な理由を理解することから始めてほしい。
これからはどんな夢を追うのか。自らが主宰してきた少年相撲の国際親善大会「白鵬杯」で、こう話したことがある。「子供たちが大相撲に飛び込み、何十回優勝するか分からないが、簡単に届くと目標にならない。横綱白鵬が打ち立てた記録を追いかけてもらいたい」。前人未到の地を切り開いた白鵬にしかできない仕事がありそうだ。