米同時テロ20年、ロシア国内の脅威は低下
大掛かりな掃討作戦を展開、対テロ名目で弾圧強化と批判も
米同時テロが起きた2001年9月11日の前後、ロシアでは南部チェチェン共和国の独立派との紛争が続き、大規模テロが頻発していた。プーチン政権は徹底的な掃討作戦を行い、20年後の今、国内でのテロの脅威は低下。しかし「テロとの戦い」名目で治安当局による人権侵害や反体制派弾圧が強まっているとの批判が絶えない。
「ロシアは大規模なテロ組織を打ち負かし、無法者を一掃した事実上唯一の国だ」。プーチン大統領は8月24日、政権与党の会合でアフガニスタン情勢に触れながら誇らしげに語った。ロシアでは1999年に第2次チェチェン戦争が始まり、国際テロ組織の支援を受けたチェチェン独立派がテロを仕掛けた。
02年のモスクワ劇場占拠事件では人質約130人が犠牲になり、04年の北オセチア共和国ベスランの学校占拠事件では子供を含む人質330人以上が死亡した。相次ぐ大規模テロを受け、プーチン政権は06年、対テロ作戦での治安機関の権限を大幅に強化した対テロ法を成立させ、大掛かりな掃討作戦を展開。09年にチェチェン紛争は終結した。
シンクタンク「ロシア国際問題評議会」のイワン・ティモフェエフ研究員は、米同時テロ以降の対テロ戦では「(米国よりも)ロシアの方が幾分成功した」と指摘。「国外から支援を受けていたチェチェンなどのテロリストを壊滅させた。一定の問題は残っているが大きな成功だ」と評価する。
一方で治安当局の強引な手法に対する批判も出ている。国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」は15年、チェチェンに隣接するダゲスタン共和国で治安当局がイスラム厳格派の信奉者を根拠なく容疑者扱いしたり、暴力を振るって自白を強要したりする事例を報告。ロシアの人権団体メモリアルも16年の報告で「対テロ作戦中の重大な違法行為は長期的にはテロの増加を招く」と警鐘を鳴らした。
政権が「対テロ」を都合良く利用し、反体制派弾圧を強める動きも目立つ。16年にテロ対策などに当たる組織として「国家親衛隊」が新設されたが、反政権デモ鎮圧のためとの見方がもっぱらだ。反体制派指導者ナワリヌイ氏の団体は今年6月、「過激派組織」に認定された。
01年の米同時テロ直後、ロシアは当時のブッシュ米政権と連携。その後の20年間、両国は「対テロ戦」を通して関係の修復を模索するが、国際テロリズムの脅威低下によって対立は悪化の一途をたどっている。(モスクワ時事)