「不自由展」騒動の背景 津田氏と実行委の思惑通り
《 記 者 の 視 点 》
「我々は『検閲』を狭く捉えるのではなく、広く捉えている。例えば、ある表現に対して、事前だけでなく、途中で反対や規制、干渉を受けたものを『検閲』として捉えている。その状況を示して問題を投げかけるのが今回の展示の趣旨と考えている」
昭和天皇の肖像写真を燃やしその灰を踏み付ける動画や、慰安婦を象徴する少女像などが展示された企画展「表現の不自由展・その後」の中止・再公開で混乱した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」が14日閉幕した。冒頭の発言は、企画展の混乱を検証する愛知県の有識者委員会のヒアリングに対する企画展実行委員会のものだ。
この発言を見ると、混乱は起きるべくして起きたことが分かる。芸術祭の契約書では、作品選定は芸術監督の津田大介氏、キューレーター(学芸員)チーム、芸術祭実行員会事務局、企画展実行委の4者で行うことになっていた。しかし、実際は他の展示と異なり、企画展実行委に対して出展を業務委託するという「特殊な形態」を採った。
その結果、津田氏と企画展実行委は、企画展の作品決定などに対するキューレーターの介入を避けることができるようになった。もし、介入があったり、混乱が発生したりした場合でさえも、日本における「検閲」の実態として喧伝(けんでん)できる。有識者委員会がまとめた中間報告を見ると、両者にはそんな思惑があったことが浮かび上がってくる。
実際、芸術祭実行委会長の大村秀章・愛知県知事が津田氏に、「少女像は何とかならないか、やめてくれないか」との懸念を企画展実行委に伝えるよう要請したが、拒否されている。大村知事も「検閲」と糾弾されるのを恐れ、それ以上の行動は起こせなかった。大村知事と事務局には、昭和天皇に関する動画は、その存在さえ知らされなかった。
企画展実行委のメンバー(5人)は2015年、東京都練馬区の民間ギャラリーで展覧会「表現の不自由展 消されたものたち」を開いた。同展を評価した津田氏が、メンバーの一人に話を持ち掛けたことで、企画展は実現に向け動き出した。
企画展の23作品を見ると、皇室や戦前の日本に関するもの3割、日韓関係2割を占める。普遍性の唱道というより、既存の道徳・秩序を「抑圧」と捉える反体制の立場が際立つ。これらを「芸術」と呼ぶか、「政治プロパガンダ」と見るかは人それぞれだが、津田氏と企画展実行委は、「広く県民が楽しめる企画の祭典」という芸術祭の趣旨にそぐわず、騒動が起きることは織り込み済みだったと見ていい。
それは「『あえて今回公立美術館で開くことに意義がある』と不自由展実行委員会と合意していたが、これは人々が公的機関に期待する役割から逸脱したもの」とした中間報告でも明らかだ。偏った思想を背景にした企画展への反対や抗議を「検閲」として世界に拡散させるには、公的施設での開催の方が好都合だったのだ。
社会部長 森田 清策