アフガン自衛隊派遣、活動妨げる平和憲法の呪縛
《 記 者 の 視 点 》
菅義偉首相が今月3日、自民党本部で開かれた臨時役員会で総裁選不出馬を表明し、自民党は一気に新総裁(次期首相)選びに動きだした。野党側も埋没を恐れて、衆院選公約の発表や「共通政策」締結などをアピールしている。
この流れの中で埋没してしまったのが、イスラム主義組織タリバンが実権を掌握したアフガニスタンに残された邦人と大使館や国際協力機構(JICA)などの現地スタッフとその家族(邦人等)を退避させるために派遣された自衛隊の活動の検証だ。輸送機3機と政府専用機1機を派遣し、若干名の邦人と出国を希望する数百人の現地スタッフを輸送する計画だったが、結果的には邦人1人と米国に依頼されたアフガン人14人の輸送だけで終わった。
9月初めに外務省や防衛省が与野党に行った説明などから、次のような事実が判明している。
①外務省は8月14日までに、18日をめどとした民間チャーター機による現地スタッフなどを含む退避計画をまとめていたが、15日のカブール陥落で白紙に。
②現地の大使館員12人は米軍ヘリの護衛の下で空港に入り、17日に英国軍用機でドバイに退避。
③残る現地スタッフについて他国軍用機での退避の道を探ったがかなわず、20日から自衛隊派遣検討を開始。
④政府が23日に派遣を決定し、24日から輸送機を派遣。24日に大使館の一部職員がカブールに戻る。
⑤26日に米軍とタリバンが合意し、バス27台で邦人と現地スタッフらを空港に運ぶ手はずだったが、直前に空港付近で自爆テロが起こり中断。
⑥27日にカタール政府を通じて非アフガン人に限り検問を通過させることでタリバンと合意し、邦人1人を輸送。その他、26日には米国の要請でアフガン人14人を輸送し、活動終了へ。
このような経緯で、退避を希望する現地スタッフら500人がアフガンに残されることになった。1日早ければ、と悔いが残るオペレーションだった。
最大の問題は17日の大使館員退避後に、現地人スタッフら退避のため自衛隊派遣を決定(23日)するまでに6日もかかったことだ。その一因に、邦人等の輸送を可能にする自衛隊法84条の4に示された「当該輸送を安全に実施することができると認める時」という条件が満たされているかどうかの確認があった。
条文の「安全」とは、一般人が考える安全とは違い、自衛隊が活動できるという意味での「安全」だが、いちいちそれを確認しないと外地で窮地に陥った邦人などの輸送活動ができないというのは冗談のような話だ。
おかしな法律を改正していくのは国会議員の職務であるはずだが、2日に行われた野党による外務・防衛両省からのヒアリングでは、派遣の遅れや大使館員の退避時期への批判ばかりで、法律改正の指摘や提案は全くなかった。「平和憲法」の呪縛(じゅばく)で、自衛隊の活動拡大そのものを嫌う風潮が残っているためだ。
国民の命より「平和憲法」の方を優先する冷戦時代の残滓はまだ根強い。
政治部長 武田 滋樹






